小平市は、一九六二(昭和三七)年の都市計画を策定するにあたって、一九七五年の人口を一二万人と推計したが、一九七〇年四月には一三万五千人を突破した。予測を超えて急激に増加した人口は、街路、下水道、公園などの都市基盤が行き届いていない地域に流入して、市民生活で目立った不都合を及ぼすようになった。
のちに取り上げる小平市の「長期総合計画基本構想」では、一九六〇年代の一〇年間で小平では、「急激に農村から都市へと、社会経済的にも形態的にも急変、多くのしたため問題が発生している」と述べ、具体的に次のような問題を指摘している。
①「社会階層の分化」にともなう問題(旧来の「農民」に対して新規に「都市勤労者層」が急増したので、「要求する行政サービスが多様」になっている)、②「スプロール現象」の出現(急速な都市化によって土地利用が無秩序、無計画に進行し、「土地の合理的利用」が低下する状態が出現すること)、③「生活水準のアンバランス」(宅地化によって「一部の地主」の所得は増加したが、社会的生活水準は依然として低く、生活水準のアンバランスが目立つ)、④「近郊住宅都市」ゆえの職住分離の進行(近郊住宅都市ゆえに市内に職場が少なく、都心への通勤人口が急増している)、⑤都市問題の発生(道路交通難や交通事故多発などの都市問題の発生)、である。
小平市では、一九六八年四月に企画室を新設し、ただちにアンケートによる市民意識の調査をおこなって、スプロール現象などへの対応を検討しはじめる。一方、人口推計調査会を設置して、厚生省人口問題研究所の人口推計課長である長浜英彦の指導のもと、将来の人口推計もおこなった。
スプロール現象への対応をめぐって、企画室、人口推計調査会で作成した基礎資料をもとに、「小平市長期総合計画」を策定することとなる。建設省建築研究所の第一研究部長であった入沢恒を総括主査として、東京大学工学部都市工学科の広瀬盛行と総合計画センター代表の片桐達夫に委嘱した長期総合計画策定専門調査会を設置して、「基本構想」の提案を受けた。また庁内では、全部課長で組織する長期総合計画策定委員会を設置して、小平市がかかえる実際の問題が総合計画からこぼれ落ちないような体制を敷いた。
策定専門調査会から一九六八年一〇月に中間報告、翌年三月に最終提案を受けた策定委員会は、土地利用・交通・住生活・産業経済・厚生文化・行財政の六部会を設置して検討をはじめる。市議会の六月定例会で報告したのち、市報や市民との座談会、広聴会によって市民への理解を進めていく。一九七〇年三月、市議会にて「長期総合計画」の「基本構想」が可決される。