図7-5 小平市内の大けやき(竹内家)
『小平市制施行30周年記念 市民の思い出写真集』
市民憲章の第一章を受けて小平市では、一九七三(昭和四八)年四月一日から「小平市緑の保護と緑化の推進に関する条例」(通称・緑化条例)を施行する。この条例の主な内容は、①宅地を造成する事業者に土地開発にともなう緑の回復を義務づけたこと、②市が所有者の許可を得て保存樹木・樹林を指定し、保存樹木・樹林の伐採や譲渡に対して制約を加えたこと、③市が保存樹木・樹林の所有者に管理助成金を交付すること、④市が指定した風致地区内の樹木や保存樹木がもたらす災害に対して補償することなどである。なかでも、④は当時ユニークな試みであった。
「緑のトンネル」として市民に親しまれてきた街道(青梅、東京、五日市、鈴木)沿いのけやき並木の大木は、排気ガスなどでもろくなって強風の際に倒れやすくなり、予期せぬ事故が起きることがあった。所有者はこうした悩みから樹木・樹林を伐採せざるをえなかった。武蔵野のシンボルであるけやき並木の大木がこれ以上切り倒されるのを防ぐため、小平市では大木の枝木が倒れて起こる事故に保険をかけ、所有者の負担を肩代わりして緑を保存しようとした。市内にある高さ一五m、幹回り一・五m以上の樹木(うちけやき四二〇本)を対象にして、台風や落雷などの事故にも適用するこの試みは全国的にも珍しく、NHKの番組「スタジオ102」でも紹介された。
大島市長は、小平市緑と花いっぱい運動の会の広報誌『緑と花』(一九七三年四月号)のなかで、「小平の緑化対策が一躍世人の注目をあびることになったのは、この企画がいかにもユニークであり、〔中略〕同時に、緑化対策の一つのきめ手として、大きな期待が寄せられているところにその価値がある」と述べている。緑化条例の制定について、単にユニークというだけでなく、自然保護政策の一環に位置づけ、市長就任とともに「明るい緑の街づくり推進」を提唱して、緑と花いっぱい運動を推進し、市民憲章で「みどりを育て 小鳥の来るまち」を実践する緑化条例を制定したプロセスについてふれている。
図7-6 小平市緑と花いっぱい運動の会『会報』創刊号、1968年
小平市緑と花いっぱい運動の会所蔵
その後、市制施行五〇周年を迎えて、緑と花いっぱい運動は再び市政に位置づけられた。五〇周年の記念行事として、二〇一二(平成二四)年五月一二・一三日、小平市で全日本花いっぱい大会(第五五回)が開かれることとなった。大会招致が決まると「こだいら 花いっぱい プロジェクト」が立ちあげられ、多くのボランティアが参加して、せきれい公園や小平駅南口ロータリーでの花壇づくりがおこなわれた。大会当日は、市立中央公園で草花を販売したり、カブトムシの幼虫をプレゼントしたりするグリーンフェスティバル、市民文化会館ではガーデニングコンテストなどが催されている。