一九七〇年代前半の財政支出のなかで総額に占める割合が高かったのは教育費で、一九七〇年度から七六年度まで一九%から三九%で推移する。この間、小学校三校(小川東・花小金井・鈴木小学校、市内全二〇校開校のうち)、中学校四校(小平第四・第五・第六・上水中学校、市内全八校開校のうち)が開校している。一九六〇年代は小学校の増設(全一〇校開校)が盛んであったから、一九七〇年代前半になるとその卒業生を受け入れる中学校の新設が急がれたのである。
土木費をみると、一九七〇年度から七六年度までは一〇億円から二〇億円程度で推移する。一九七五年度と七六年度は支出額が減少し、総額に占める割合が低かったが、一九七七年度から支出額を高める。一九七〇年度から一九八五年度までの約一五年間でみると、総額で占める割合はおおよそ一〇%代後半で維持されていた。
総額に占める民生費の割合をみると、一九七〇年度から七三年度までの一〇%代後半から、一九七〇年代半ば以降になると、二〇%から二六%へ増加させている。
一九六九(昭和四四)年三月の市議会において、大島市長は「財政上全体の調和の点で保育園建設の速度を御希望(一年一園)どおり速めるわけにはゆかぬ事情」に理解を求めている。「長期総合計画基本計画」では一〇年間に市立保育園五つの開設を予定していたが、一九七三年度末の時点では、保育園入園希望者に対する市内の保育園募集数は四六%にとどまっていた(『小平市三〇年史』)。こうした児童福祉への対応に加え、小平市は一九七五年度から「老人のための明るいまち推進都市」の指定(三か年)を受け、さらに七九年度から「障害者福祉推進都市」の指定(二か年)を受け、高齢者福祉と障害者福祉に力をいれていく。