下水道の整備

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一九六九(昭和四四)年一二月、「長期総合計画基本構想」をめぐって、市長と市民による座談会が開かれた。そのようすは『小平市報』第一七六号で紹介されている。
 市長は冒頭で、小平市における一九六〇年代の急激な人口増加と、それにともなって進行するスプロール現象(都心部から郊外へ、土地利用が無秩序、無計画に広がる状況)を指摘し、下水道や道路、小中学校の教室増加などの社会基盤整備の必要性を訴えた。
 司会を務める小平市企画室長は、座談会を進めていくなかで、小平市が進める住宅都市づくりが直面する最も大きな課題を以下のように提示している。
都市づくりで真っ先きに取り組まなければならないのは、下水道問題だと思います。市長は下水道事業を最優先に考え、一日も早く公共下水道を実現したいと一生懸命になっていることは、皆さんご承知のとおりです。この問題は、主婦の皆様の関心も深いかと思います。

 市民代表の女性二人のコメントは、以下のとおりである。
下水道の不備はひどいですね。この夏、外出先から帰宅するのに一橋学園駅に降りますと、折からの夕立で駅付近は水がいっぱい溢れていて、洪水のような騒ぎです。なんとかして帰宅しようとすそをからげて歩き出したのですが、水が多くて動きが取れないんです(笑い)。〔中略〕下水、排水ができていたらとつくづく思っています〔女性A〕
私もまちづくりの中で、いちばん先きに手をつけてもらいたいのは、下水、排水ですわ。学園西町は他に比べて幾分高くなっていますが、それでも〔女性A〕さんがおっしゃったとおり水はけが悪く、少しの雨でも水たまりが出来ます〔女性B〕

 当時の小平市が抱えていた大きな問題の一つは、排水であり、公共下水道設備の整備であった。夕立では水が溢れるように溜まり、そして水はけも悪かったようだ。
 小平市は、東西の地表勾配が四%程度とほぼ平坦な地形である。市内を流れる川は石神井川のみで、直接雨水を排水するような川は市内にほとんどなかった。また、平坦といえども、山王窪・平安窪・天神窪に代表される窪地も存在する。
 排水における地理的不便な条件をもつうえ、小平市は都市化がもたらした不衛生な生活環境にも悩まされるようになった。『小平市報』(第一八八号)では、日常生活で感じている不快さが、「不衛生なくみ取り便所、台所などの下水を流す吸込み、道路の側溝によどむ汚水、そこから発生する伝染病等々すべて下水に起因」していることを伝え、下水道ができれば道路の水たまりも解消し、トイレの水洗化も容易に進むことを告知している。
 一九六九年一一月、三多摩の一五市七町が一体となって多摩川流域下水道協議会が組織され、初代会長には小平市長が選任された。小平市の行政機構も、建設部計画課下水道係が建設部下水道課へ改組される。また、市報でも「急げ下水道」(全八回)というコラムを連載して、多額の予算と時間がかかる下水道事業に対する市民の理解を求めた。
 一九七〇年に多摩川流域下水道北多摩一号処理区の建設事業が開始される。北多摩一号処理区は小平市のほか、立川市・府中市・小金井市・東村山市・国分寺市の計六市にまたがる。この地域は、近隣に大量の雨水を処理できる河川が皆無であり、また浸水などの都市災害を防止するうえで下水道に河川の役割をもたせるため、雨水と汚水の合流式が採用される。

図7-7 下水道建設工事のようす(学園東町付近)

 一九八二年より荒川右岸処理区の建設事業もはじまる。荒川右岸処理区は、小平市のほか、清瀬市・東村山市・田無市・保谷市・武蔵野市・小金井市・東大和市・武蔵村山市・東久留米市の一〇市にまたがる。こちらは分流式を採用した。
 小平市における公共下水道は、北多摩一号処理区と荒川右岸処理区によって、一九九一(平成三)年三月に汚水整備率一〇〇%を達成する。全国三二九三自治体のなかで、一三番目に早い達成であった。それを記念して建設された下水道記念館が、一九九五年一〇月に開館している。