一般の家庭で自動車を所有するマイカー時代は、一九六三(昭和三八)年から六四年のオリンピック景気の頃から耳にするようになる。一九六〇年代後半には、「3C(カー、カラーテレビ、クーラー)」という言葉が時代を象徴した。こうした豊かな生活が追求される一方で、六〇年代後半の多摩川は、洗剤の泡が舞って「死の川」と呼ばれるなど、環境問題が深刻になっていた。また、交通渋滞や路上駐車などの問題もクローズアップされるようになる。
一九六八年六月二〇日の『小平市報』では、路上駐車の自粛が呼びかけられている。路上駐車が原因で、交通渋滞や交通事故が多発し、緊急車両もスムーズな活動ができなかった。とくに問題となったのは、道路を車庫代わりに使用する「青空駐車」であった。
一九七一年に誕生した東小川橋自治会は、新興住宅地の自治会として青空駐車対策を講じている。加入世帯は、当初の五八戸から、一九七四年には一〇七戸に推移する。加入世帯数のうえでは、市内の自治会で平均的な規模であった。
東小川橋自治会では、一九七二年六月、青空駐車の問題が議論にもちあがる。この問題に対して本腰を入れて貰いたいという住民の強い要望を受けて、自治会として対応することを決定する。アンケートを実施して現状把握から問題解決の糸口を探った。
八二世帯のうち八〇世帯の回答を得たアンケートの結果は、以下のとおりである。自家用車の所有の有無は半々であり、半分の四〇世帯が自家用車を所有していた。自家用車の所有の有無にかかわらず、駐車場を必要とする世帯は三六世帯(今後必要となる世帯も含む)、必要としない世帯が三七世帯、現状のままを希望する世帯が七世帯であった。
一九六二年に制定された自動車の保管場所の確保等に関する法律が一九七三年に改正され、道路を車庫代わりに使用することができなくなった。東小川橋自治会は、一台あたり一か月二〇〇〇円の駐車場を一二〇〇円前後で斡旋した。自治会員の自動車の保管状況は、七四年七月時点で、自家用車を所有している世帯が五八、そのうち自宅内に駐車場を用意している世帯が二七、自宅外に駐車場を用意している世帯が二六、自家用車を所有しているものの決まった保管場所をもたない世帯が四であった。
しかしながら、青空駐車の禁止をなかなか徹底することができなかった。一九七四年、東小川橋自治会は青空駐車車両と訪問者車両を見分けるために、駐車許可証を発行して巡回チェックをおこなって対応している。