就業者数の増加と構成の変化

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小平の郊外化が急速に進んだ一九六〇年代から七〇年代は、同時に小平の就業者の構成と産業構造が大きく変わった時期でもあった。表7-2に、小平の人口と就業者や通勤人口などの推移を示した。人口の増加とともに小平に在住する一五歳以上の就業者数も増加している。このうち五割台は東京都二三区などに通勤流出しており、小平が東京都心の住宅都市として発展していることがわかる。ただし、小平市外に在住して小平市内に働きにくる通勤流入人口も増加しており、小平市に在住して小平市内で働く人口と通勤流入人口を加えた昼間人口就業者は、通勤流出人口を上まわる勢いで増加している。一九六〇年代から七〇年代の小平には、郊外化の進む住宅都市としての面と市内での就業が増加する面の両面があったのである。以上の二つの傾向について、第六章第五節の「戦後の移動と生活圏」で一九七五(昭和五〇)年についてより詳細に検討しているので参照されたい。
表7-2 通勤流出入人口の推移
(単位:人)
 総人口15歳以上の就業者数通勤流出通勤流入昼間人口就業者
1960年52,92319,87611,2004,25112,927
1965年105,35344,78625,3799,78929,196
1970年137,37361,68533,055154,4844,078
1975年156,18167,36939,246185,9546,678
1980年154,61068,29640,227237,2151,763
1985年158,67374,29642,250270,5256,098
(出典)国勢調査より作成。

 小平市内の就業構成と産業構造を検討する。表7-3に国勢調査による職業四部門別人口の推移を示した。高度成長以前の一九五〇年には農林漁業の人口が三四・六でもっとも多かったが、人口の増加とともに農林漁業の人口比率は急速に減少し、それに代わって生産・運輸、事務・技術・管理、販売・サービスの人口比率が増加する。生産・運輸人口の比率のピークは一九六五年であり(三八・三%)、以後は減少に転じ、とくに一九七〇年(三六・六%)から一九七五年(三一・三%)の落ち込みは大きく、一九八五年には二七・〇%にまで比率を下げる。
表7-3 職業4部門別人口の推移
(単位:%)
 農林漁業生産・運輸販売・サービス事務・技術・管理
1950年34.621.211.232.9
1955年22.822.922.731.6
1960年8.934.721.534.9
1965年3.338.321.636.8
1970年1.936.619.941.5
1975年1.431.323.443.8
1980年1.330.224.144.3
1985年1.327.024.546.8
(出典)国勢調査より作成。
(注)国勢調査の職業大分類による

 一九七三年におきた石油危機は日本の製造業に大きな打撃を与えており、小平市の生産・運輸人口比率の大きな落ち込みには石油危機の影響があったものと思われる。生産・運輸人口比率の低下に代わり、一九七〇年代にもっとも高い比率をしめたのは事務・技術・管理人口であり、就業人口の四割台をしめる。これに対して販売・サービス人口の比率は、一九六〇年代の約二〇%から七〇年代にはおよそ二五%へと比率を増加させている。
 図7-9に小平市内で就業する人口の産業別推移を示した。市内で就業する人口数を確認すると、約一万三千人(一九六〇年)、二万九千人(一九六五年)、四万四千人(一九七〇年)、四万七千人(一九七五年)、五万二千人(一九八〇年)というように、一九六〇年代に急増し、一九七三年の石油危機で横ばいになり、その後ゆるやかに増加に転じている。産業別の就業者数では、第一次産業が著減するなかで、一九六〇年代において第二次産業を中心として第三次産業が加わりつつある構成へ、石油危機後において第三次産業を中心として第二次産業が加わる構成へ変化している。

図7-9 昼間人口における産業別就業者数(15歳以上)
(出典)国勢調査報告より作成。

 一九七〇年代の第二次産業就業者では、とくに製造業の落ち込みが激しく、四二・八%(一九七〇年)から三四・一%(一九七五年)に低下して以降、傾向的に減少し、一九八五年には二九・四%にまで低下していること、それに対して建設業就業者の比率は、七・九%(一九七〇年)から九・〇%(一九八五年)まで漸増している。
 一九七〇年代の就業人口の中心をしめる第三次産業では、サービス業の伸びが大きく、ついで卸売・小売業、公務・その他を加えた構成になっている。製造業中心の一九六〇年代から、サービス業・卸売・小売業中心の一九七〇年代に小平市の就業人口は変化しているといっていいだろう。