工業の動向

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図7-10に、小平市の工場数と従業員数の推移を示した。工場数は、一九六八(昭和四三)年まで一〇〇程度で横ばいだったのちに増加し、七〇年に二一〇、七五年三八三、八〇年三九二、八五年四〇六と推移している(ピークは一九八三年の四三九)。これに対して従業員数は、一九六〇年代に増加傾向をたどり、一九六九年にピーク(一万六八〇二人)を迎えて以降、一九七〇年代に入ると減少傾向をたどっている。

図7-10 小平市における工場数・従業員数の推移
(出典)小平市総務部庶務課統計係『工場統計調査報告』第3号、1976年3月

 工業の動向を従業員の規模別に確認すれば、従業者数一〇〇人以上の事業所数は、一九六五年に一一、七〇年一三、七五年一四とほとんど変化がなく、従業者数二〇人以上九九人以下の事業所数は、同じ時期に三一、四一、三八と推移して微増にとどまっている。これに対して、従業者数一〇人以上一九人以下の事業所数は、同じ時期に一五、三五、五五と推移しており、増加が確認できる。事業所数の増加がもっとも顕著なのは従業者数一〇人未満の事業所であり、同じ時期に四九、一二一、二七六と大きく数を増やしている。従業者数一〇人未満の事業所数の増加率は、一九六五年から七〇年に二・五倍、七〇年から七五年に二・三倍に達しており、この間の事業所数全体の増加をリードしていたのは、従業者数一〇人未満あるいは従業者数一〇人以上一九人以下の中小・零細工場だったことがわかる。
 従業員数の推移を規模別に確認すれば、従業員数のピークであった一九六九年に比率がもっとも大きかったのは従業員数一〇〇人以上の大工場であり、従業員数全体の八割近くを占めていた。それ以降、とくに石油危機後の従業員数の落ち込みを主導したのはこの従業員数一〇〇人以上の大工場であり、一九七〇年代の従業員数全体に占める比率は七割程度に低下した。それに対して、一九七〇年代には従業員数二〇人以上九九人以下の事業所は二割弱、それ以下の中小・零細工場の従業員数が占める比率は一割程度にそれぞれ漸増している。従業員数九九人以下の事業所の従業員が全体に占める比率は、一九六五年には二割程度であったが、一九七〇年代には三割台にまで比率を増大させている。
 以上より、小平の工業の特徴として、一九六〇年代は従業員数一〇〇人以上の大工場の時代だったこと、それに対して一九六〇年代末以降になると中小・零細工場が増加し、石油危機後には大工場の従業員数が減少していたことを指摘できる。
 こうした状況のなかで小平市では、一九八〇年代に中小・零細工場を支援する試みがおこなわれた。小平商工会は、一九八一年に「小平商工会地域ビジョン」を策定し、工場共同利用事業として工場アパートの建設を小平市に提案した。小平市は、施設を共同管理するほか、事務用機器や駐車場の共同利用、製品の共同委託配送などをおこない、中小・零細工場の経費削減をはかる工場アパート計画をたてた。七年の準備期間を経た一九八九年、協同組合テクノエイト小平は発足した。中小・零細工場を支援する工場アパートは、全国でも数少ない試みである。