農業と生産緑地

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『東京都統計年鑑』によれば、小平市の農家戸数は、一九六〇年(昭和三五)に八八三戸、六五年七六八戸、七〇年六七九戸、七五年六三五戸、八〇年五七七戸、八五年五四四戸と推移している。農家戸数は一九六〇・七〇年代に減少が大きく、一九八〇年代になると減少幅が小さくなっている。この間、兼業農家率が五割から九割に増加している。兼業農家は世帯員のなかに兼業従事者が一人以上いる農家のことである。小平市の兼業農家では、第二種兼業農家が多く(一九八〇年の農家全体に対する比率は七三%)、また自営兼業が多いことが特徴である(一九八〇年の兼業農家全体に対する比率は六九%)。兼業農家のうちで、農業所得と兼業所得を比較し、農業所得の方が兼業所得より多い兼業農家を第一種兼業農家と呼び、兼業所得の方が農業所得よりも多い兼業農家を第二種兼業農家と呼ぶ。これに対して、年間で一定額以上の販売収入のある兼業農家を自営兼業と呼ぶ。小平市では、貸家やアパートなどの不動産経営によって定期的な収入を得ている自営兼業の農家が多い。都市化の進行した地域の農業の特徴を示すものである。
 小平市では、一九七〇年の長期総合計画基本計画で、小規模生産集団(生産緑地)化の促進など、都市農業が今後も成り立つような農家育成がめざされていた。一九七三年には、農家経営の安定をねらって農業緑地奨励金制度を創設する。この制度は、市民の快適な生活環境を確保するために、耕作面積一〇〇〇m2以上の耕作農地を有することを条件に、農業緑地の申請を受けて保全することとしたものである。
 この時期の小平の農業の特産品として「東京うど」と「小平なし」がある。一九七七年八月二〇日付の『朝日新聞』多摩版の記事によれば、小平のなし畑の多くは一五年ほど前の一九六〇年代前半に野菜から転作し、植えた苗木が当時最盛期に入ろうとしていた。生産者は四〇戸ほどで、ほとんど市場には出荷せずに庭先取引や屋台売りにて販売していた。生産者で組織される小平市果樹組合では、小平なしのせん定や肥培管理、人工交配などに新技術の研究を続けてきた。生産緑地に力を入れる小平市でも、農地保全育成事業補助金を出して、なしの立木品評会をおこなうなど小平なし生産をバックアップしている。