一九四八年に開園される小平霊園は、小平駅の北西約三〇〇m先で約四万の墓がある。武蔵野の風景を代表する赤松と雑木林に囲まれた七〇万m2の敷地には多くの有名人の墓もあり、お彼岸の中日になると小平駅では一日に四万五千人もの乗降者を数えた(同上)。
小平霊園への参道に並ぶ石材店について、清瀬高校の生徒たちは聞き取り調査をおこない、報告書を作成している。報告書によれば、小平霊園が開園してすぐに、多くの石材店ができて、小平駅から小平霊園の参道はとても栄えていたという(『地域調査報告書』第一一回)。その後、霊園の埋葬可能墓地数が埋まると、遠方への引っ越しにともなう墓地移動の数だけしか墓石は売れなくなる。一九七〇年代半ば頃になると、石材店は花や線香の販売、墓や植木の手入れ代行サービス、休憩所の経営が小平霊園との主なつながりになっていった(『地域調査報告書』第三回)。墓石販売をつうじた小平霊園との関係は薄まったが、小平駅前の石材店は高尾山の麓などに霊園が造営されると支店を出し、石材店としての仕事を成り立たせていった(『地域調査報告書』第三回、第一一回)。
図7-12 小平駅前に並ぶ石材店 1955年頃
小平市立図書館所蔵