ダイエー小平店の出店問題

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図7-13 小平市内の商店街のようす 1985年頃
『小平市新長期総合計画』

一九七四(昭和四九)年八月、ダイエーは小川東町への出店計画を発表した。一九七六年八月にダイエーが東京都の建築確認申請を得てから、地元商店との対立が一気に激化する。一九七七年に入ると、地元商店主たちはダイエー進出予定地にテントを張って泊まり込むなど、工事着工阻止に向けた動きは強まっていった。
 一九七七年六月、小平市長の大島宇一と東村山市長の熊木令次が仲介に入り、ダイエーと両市商工会の話し合いが小平市役所で開かれた。話し合いの焦点はダイエー小平店の売り場面積であり、ダイエーが一万四八〇〇m2を計画し、商工会側は三四二〇m2までしか認められないと訴えた。両者の主張には大きな隔たりがあった。それに対して、両市長は、最初に約五〇〇〇m2規模の店舗を建設して、二年後に約四〇〇〇m2を加算建設することで、近隣地区のイトーヨーカドーと同規模の九〇〇〇m2となる二段方式の斡旋案を提示した。それを受けて小平市商工会では協議を進めたが、なかなか対応策を一本化できなかった。小平商店会は、七月、市長斡旋案と「当初に約五〇〇〇m2、二年後に約二〇〇〇m2を加算する」案の二案について、東京都通産局へ意見を求めた。
 ダイエー出店予定地近隣の一八商店会(五八〇店)で組織する小平・東村山小売商近代化促進協議会は、七月一五日、約二五〇人が東京都通産局を訪ね、東京都が小平市と東村山市、両商工会に圧力をかけないように陳情する。八月五日には、建設中止を求める仮処分申請を東京地裁八王子支部に提出した。一方、同月三日には、小平、東村山両市の民主商工会など十数団体で組織している大型店反対連絡協議会でも、東京地裁八王子支部に建設禁止の仮処分申請を提出している。
 反対運動も続いたが、小平市と小平商工会は売り場面積を縮小することでダイエーの進出を認める。一〇月三日、ダイエーと鹿島建設は建設工事を開始した。小平・東村山小売商近代化促進協議会も、着工への実力阻止は控えることを発表した。こうして一九七九年五月、ダイエー小平店は開店する。