消費者教育がはじまる

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高度経済成長の進展にともなって、家電製品を中心とする耐久消費財の普及、食生活・衣生活の多様化など、人びとの消費生活そのものに著しい変化がみられた。所得倍増の旗のもとにすすめられた政策によって所得はあがったものの、激しい物価上昇が家庭経済を直撃した。また、偽牛缶事件に代表されるような食品の不当表示や、有害色素や添加物を用いた食品の危険、合成洗剤による河川の汚染、中性洗剤をめぐる論争など、消費生活をめぐる不安が広がっていた。経済成長を優先してきた政策のひずみと代償が次々に露呈していた。
 市制施行から間もない一九六三(昭和三八)年三月、小平市の公民館では、「しっかりとした自分の考えをつくるために」と、五回にわたる市民教養講座を企画し、そのなかの一回に東京教育大学教授美濃部亮吉「日本経済の問題点―物価問題と家庭生活―」を組み込んだ(『小平市報』第一〇号、第一一号)。七月の第二回市民教養講座にも戸板女子短期大学教授横山光子の「消費生活と家庭経済」を組み、消費社会のすすむ忙しい日常生活のなかでも「正しいもの見方考え方をもつ」「くらしの工夫をしてみよう」という啓発をおこなった(『小平市報』第一九号)。
 一方、一九六三年度から学園東町地区が新生活運動のモデル地区に、茜台地区と中宿地区、小川町一丁目地区が指定地区となり、それぞれの地区の自治会や婦人会を中心に町内の一斉清掃や蚊とハエの撲滅、料理や生活技術の講習会、花いっぱい運動に取り組みはじめていた(『小平市報』第二一号)。新生活運動は、戦後荒廃した日本の建て直しをめざしてはじまったものであり、一九五五年に全国的な組織として新生活運動協会が設立されていた。五七年には東京都新生活運動協議会が結成され、「みんなの力で明るい都に」という目標のもとに、生活の民主化、合理化、公共心の高揚などの運動を展開した。六四年度になると、運動の対象を消費生活におき、毎日の生活のなかで困っていること、疑問に思うことを具体的に提出して、みんなで解決する生活学校運動をすすめるようになり、生活学校が消費者問題解決への実践活動の場になった。
 小平市でも、一九六五年九月から翌年三月までの半年にわたり、主婦のグループが中心となって最初の生活学校が開設された。前年に旧市役所庁舎を改修して独立した小平公民館のホールが会場となった。「わたしたちの日常生活の中につぎつぎと売り出される新製品、はんらんする広告宣伝を正しく判断し、かしこい消費者になることはよりゆたかな生活につながります」と、市報で一〇〇人の参加者を募った(『小平市報』第六九号)。