市民葬儀の実現

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一九七五(昭和五〇)年の第二回消費生活展に出展した小平団地生活学校は、葬儀をテーマとして発表をおこなった。
 団地に入居して一〇年、近所の訃報にあうことも増えてきたなかで、支払わなければならない葬儀費用の大きさに不安と同時に疑問がわき、「葬儀一切の費用は心のこもったもので必要最低限にすませたい」と考えた。団地は、都市化の中で移り住んできた比較的若い核家族の生活の場であり、昔ながらの仕組みや儀式とは最も切り離された人びとの集まりである。生活学校でアンケートをとると、八割の団地住民が一般的な葬儀の慣習となっている手伝いや香典には賛同しているものの、香典返しを不要と考え、九割の住民が葬儀の簡素化を望んでいた。想定費用については、回答に三〇万円から一〇〇万円と幅があるが、二割の人が「わからない」と答えているのは、若い世代が多いことも背景にあるだろう(近現代史料集④ No.九二)。
 生活学校では、近隣自治体一〇市でおこなわれている市民葬の実態を調査し、たとえ制度があっても、市のとりくみ姿勢によって利用に差があることに気がつく。その差を指摘したうえで、「市民が安心して利用できる市民葬儀」の検討を市に要望し、消費生活課が窓口となって市内の業者と話し合う場をもつことになった(『小平市消費生活展 展示のしおり』第三回)。その結果、一九七六年九月から消費生活課が窓口となっておこなう市民葬儀がはじまり、その一か月前の市報で「市民葬儀が発足」と取り上げられた(『市報こだいら』第三三七号)。開始から一か月で九件の利用があり、そのうちの四件は満足度が高かった(『小平市消費生活展 展示のしおり』第三回)。
 小平の市民葬儀は予算に応じた組み合わせができることに特徴をもたせたが、「ランクのないのが市民葬の重要な長所のはず」という声も寄せられ、改良の余地も残されていた。しかし、生活学校の提案と行動によって実現した市民葬儀への関心は高く、小平団地と学園東町の住民にとったアンケートでは、七割の人が利用したいと考え、さらに、八割の人が香典返しの廃止を小平市でも制度としてほしいと回答した(『小平市消費生活展 展示のしおり』第三回)。生活学校の人びとは、行政を巻き込むことが慣習を変え、人びとの意識を変化させるポイントになることを学んだ。
 一九七八(昭和五三)年の消費生活展は、消費生活課がおこなった「市民葬儀に関するアンケート結果」が発表された。七六年一〇月から七七年三月にかけての利用状況では、利用しなかった件数の方が利用件数の倍以上だったが、利用しなかった人の半数近くは市民葬儀の存在を知らなかった。そのうちの七割の人は、知っていたら利用したと回答していることから、この葬儀の制度をつくったこと自体は成果であったといえる。しかし、香典返しについては、市民葬儀の利用の有無にかかわらず依然としてほとんどのケースで実施されており、香典返し廃止運動の推進と、自治体での制度化が要望されていた(近現代史料集④ No.九三)。