高度成長が始まる頃、主婦たちは、合理的な家事技術を身につけることや医師や保健婦に指導を仰ぎながら育児を進めることを期待されていた。しかし、生活も豊かになった二〇年後のこの時期、主婦たちは、日常のくらしのなかにあふれる洗剤の危険や食品添加物などの有害物質の知識を身につけ、かしこい消費者となって自分で考え、発言し、家族の健康を守る役割を行政から期待されるようになっていた。
家族が口にする食品への安全や食器洗剤に含まれる有害物質に対する意識を高めていた主婦たちにとって、一九八〇年度からの中学校の給食実施計画は、改めて学校給食の意義や子どもたちの食生活を見つめ直し、考えて発言する機会となった。新日本婦人の会小平市部と小平市ひまわり生活学校がそれぞれ二回ずつ、消費生活展で中学校給食で導入されるセンター方式の給食について発表をおこなった。ひまわり生活学校は「学習会や資料集めをしてみると給食について私たちが、いかに何も知らずにきたか、ということを、反省」することからスタートした(近現代史料集④ No.九一)。
全国の自治体では、一九六〇年代より、経費削減と国の補助が大きいなどの理由からセンター方式の給食を採用していたが、短時間に大量の食事を作り、運ばなければならなかったので、材料の質や安全性が二の次とされることが多かった。しかし、戦後三〇年たって学校給食そのものの賛否や食品添加物の問題、栄養や健康、食事マナーや教員の負担などが取りざたされるようになり、センター給食の廃止を決定した自治体も出てきていることを知った。食器を洗う合成洗剤の安全性や環境汚染への影響も重要な問題であった。両団体はともに、センター方式の給食のメリットとデメリットを並べ、センター方式の給食実施の賛否を市民にたずねて結果を公表した(『小平市消費生活展 展示のしおり』第三回、第六回、第七回)。
主婦たちは、「給食を大事にしていく、給食をきちんと子どもたちに保障していくことの意味は、ただ安全なものをおいしく食べさせることにとどまらず、子ども達の将来の食生活を左右し、健康にも影響を与える」ことを学び、大人である自分たちの責任を生活展で提言した(近現代史料集④ No.九一)。