一般にお囃子を含む民俗芸能には、信仰(呪術)的、生産的、共同体(社会)的、娯楽的、そして教育的機能があるといわれている。鈴木ばやしは弘化年間(一八四四~四八年)に、賭博、女遊び、深酒などにおぼれていた若衆の善導のために長老が取り入れたという(『鈴木流囃子覚記』)。そのためとくに教育的側面を重視し、保存会は一九七七(昭和五二)年に初心者育成を目的に、子どものための小若連中を創設した。そして鈴木町から門戸を全市に広げ、翌一九七八年には市内四か所の会場(主に公民館)で伝承(練習)を開始するに至った。
練習は、先輩から後輩へと演技を伝授する伝統的な方法のほか、演技・技量の達成目標のための認定試験制度なども導入した(『月刊こっぺい』、「鈴木ばやしの歴史」)。効果はすぐに現れ、一九八〇年二月一七日に栃木県小山市で行われた第五回関東郷土芸能おはやしコンクールで二位に入賞するなどの躍進をみせた(『市報こだいら』第四二二号)。