小平神明宮のお囃子と八雲祭

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戦前には、鈴木ばやし同様のお囃子芸能が、小川地区にある神明宮の祭りにも継承されていた。それは所沢から伝授された「重松流(しげまつりゅう)」のものであった(『所沢市史』)。そのお囃子を「復活」したのが小川四番組であった。四番組のお囃子は、一九七八(昭和五三)年に、瑞穂町石畑に伝わる「重松流(じゅうまつりゅう)」から地元の愛好家新井栄吉らが学び、氏神社・神明宮の祭りを盛り立て、地域のまとまりをより強めるために導入したもので、正式には小川四組囃子連(おがわよぐみはやしれん)という。四組を中心に四〇人ほどではじめ、現在(二〇一二年)も三〇人ほどが週二回、小川四番組集会所で練習に励んでいる。こちらも子どもへの伝承・継承に力を入れ、指導者が懇切に指導している。
 演じる晴れ舞台は、小川の氏神社である神明宮の春祭り(八雲祭(やくもさい))である。この八雲祭の神輿の渡御・巡行も戦後途絶えていたものである。復活したのは、一九七五年のことで、さらに老朽化した神輿も遷宮三四〇年(二〇〇〇年)にあわせ新たに造営した。氏子組織が集めた寄付金は七四〇〇万円にのぼり、格納庫も新築した(「小平神明宮略記」)。

図7-23 八雲祭
『小平市制施行30周年記念 市民の思い出写真集』

 八雲祭は小平神明宮境内に祀ってある八雲神社の例祭である。小川の氏子組織一〇組が祭りをもりあげる。前夜祭では万灯九基が青梅街道を巡行し、本祭では御輿の渡御巡行がおこなわれる。担ぐのは小平神明宮睦会(こだいらしんめいぐうむつみかい)で、戦前の祭り遂行・運営組織であった若衆組の組織である小川青年会の伝統を引き継いで結成されたもので、会員は現在(二〇一二年)三百数十名おり、主体は小川住民であるが、居住地は氏子領域の小川に限定されず、そのほか門戸を市内外在住者にも広げている。年齢層は三、四〇代の「若者」が中心であるが、高校生から七〇歳代までと幅は広い。