鈴木遺跡と地域の歴史意識

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一九七四(昭和四九)年八月に鈴木小学校校庭で後期旧石器時代の遺跡が発見された。すぐさま小平市教育委員会は、國學院大学考古学研究所の加藤有次助教授を団長に、その学生約一〇人を中心に発掘に取りかかった。同時に教育委員会は、「市の古い歴史を知ってもらえば、失われていく郷土愛の復活につながる」(『朝日新聞』東京版 一九七四年九月一六日)と、小冊子をつくり、遺跡の広報活動に乗りだした。そして九月八日に開いた現場説明会には、市民約二〇〇人が集まり、さらに「専門家だけのものになりがちな発掘調査の現場を、一般市民に公開する」と約三〇人におよぶ発掘参加者があった(同前)。この成功によって、鈴木遺跡から発掘された局部磨製石斧などの石器や住居跡などの遺物を陳列した資料館が、一九八一年に開館し、さらに二〇一二(平成二四)年には東京都文化財(史跡)にも指定されるに至った。
 一九七八年度には小平市の小学校教育においても、加藤有次の指導下に六年生の歴史教材としてスライドを作成し、各校に配布するなどして、教材づくりの一助にした(『研究集録 昭和五三年度』)。また近くの小平第八小学校校庭からは、奈良時代の形式とされる竪穴式住居址の遺跡が発掘されたが、市は一九八一年一月、「貴重な文化財を後世に正しく伝えるため」に竪穴式住居を校庭に復元し、これを八小遺跡として小平市史跡第一号として指定し、目前で直に見ることができる教材としたのである(『市報こだいら』第四四三号)。

図7-24 八小遺跡
『こだいら市勢要覧』1972年