学校の授業にも変化が生じた。学習指導要領の改訂(一九八〇年)によって「ゆとり教育」が実施されたことにともない、小平市教育委員会は、『小学校社会科副読本 わたしたちの小平市』を大幅に改定(一九八〇年四月)し、また教師用の指導書『「わたしたちの小平市」指導資料』もあわせて刊行(一九八一年三月)した。
副読本には、新たに「四、わたしたちのくらしとよその土地のくらし」(一九時間)が導入され、山村の檜原村および川にはさまれた江戸川区と小平市の比較をとおして、その特色を明瞭にした。また「二、市の人びとのしごと」(一九時間)では「畑のしごと」に一一時間をかけて、「畑の宅地化がすすむ中で」農業のしごとをどのように維持していくかを考える内容になっている。経営効率のよい特産物としてのうどや梨の栽培奨励、さらには観光農園としての自立の方向を示しつつ、当時の小平の農家が直面していた切実な課題を取りあげ、その問題を解決しようとする学習活動が試みられた。さらに「五、小平のうつりかわり」では、小川村の開拓や玉川上水の掘削などをとおして先人の歴史が描かれた。それにともない小平第二小学校の校庭は、教諭・秋葉かな代とそのクラスの児童によって、二一mにわたって掘り返された。玉川上水の掘削の大変さを児童とともに実体験する授業の一環であった(「社会科部」)。
こうした試みをとおして、再び教員の郷土への関心は高まり、翌一九八四(昭和五九)年度には、小平教育研究会社会科部会の教員は、フィールドとして小平第五小学校(花小金井)近くの農家(高橋一平宅)を訪ね、ウド栽培の聞き書きなどを実施し、地元の人びとと交流を深めていた(『こだいら』第三四号)。