創価高校生物部のけやき調査

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小平市内に設立されている創価中学・高等学校もその一つであった。創価高校は、一九六八(昭和四三)年に玉川上水に面した小川一丁目に開校した。開校当時は、屋上からクヌギ・コナラなどの雑木林や野菜畑が見渡せる田園地帯であった。しかし一九七〇年代の小平市の変化は急で、人口は五年間で一〇万人から一五万人に膨張し、短冊型の農地には住宅が建てられ、細い農道もつぎつぎにアスファルトで舗装されるに至った。
 創価学園建学の教育環境に掲げた、都心から車で一時間ほどの距離で、富士が見え、清らかな水の流れる武蔵野の大地は、まさに失われようとしていた。「みどりの町・小平とは言うものの、このままでは緑が失われてしまうのではないだろうか」、危機感を覚えた同校生物部は、何が問題で、今後どうしていくべきかを考えていこうと、まず実態調査をおこない、基礎データの収集に乗り出した(「小平市における緑の実態調査」創価中学校・高等学校生物部『紀要』第四号)。

図7-30 創価学園生物部『紀要』第4号、1977年
創価高等学校所蔵

 調査は一九七五年一二月の「緑地調査」からはじまり、「ケヤキ並木調査」(一九七七年一月)、「生垣調査」(一九七七年一〇月~)、「小平市民の緑に対する意識調査」(一九七九年一〇月)と個別事象へと広がり、それも一回限りではなく、二回、三回と継続的に追跡調査をおこなった。その結果、得られたデータは、「みどりの町小平」のイメージは、けやき並木や雑木林・街路樹などの樹木のみでなく、「畑のみどり」であり、農家の耕作地を除外しての「みどりの町」は成立しないという農業保全の考えをふくむものであるという結論を得た(「小平市の緑の実態調査」創価中学校・高等学校生物部『紀要』第八号)。