故郷札幌を後にし、武蔵野美術大学に通った二宮昌世は、玉川上水をイラストやマップ、グラフを駆使して一一枚のパネルに仕上げ、一九八四(昭和五九)年四月に地元の金融機関で開かれた玉川上水を守る会主催の「甦れ玉川上水」展に出展した。
そのねらいは、玉川上水の現状の自然に手を加えるのでなく、キャンバスに描き、昇華することを通じて、玉川上水に「積極的に働きかけ」て「生産価値」を与えることにあったという(「甦れ玉川上水」)。玉川上水は、何も加えない、何も壊さないことによって、人びとの意識により高い「生産価値」を与えたのである。
それは「故郷喪失者」の「故郷創出」という想いを、より高いステージに押し上げ、「自然環境」そのものが、積極的な「価値」をもつことを私たちに教える契機となったといえよう。人びとは、あるがままの自然環境の重要さに気づきはじめたのである。