一九七四年七月二日付の二小PTA広報誌『ひまわり』(第二七号)に、若草学級に子どもを通わせる母親からの投稿が掲載され、障害児に対する理解を求める言葉が綴られていた。二小PTAでは、この投稿を契機に「普通学級の者が問題をさけて通っているわけではなく、知らないままに過しているのが現状だ」との認識に至り、一九七五年一月にPTA広報委員と若草学級の母親とで話し合いの場をもつこととなった。その場で出された意見は、「特別な目で見ないでほしい。同じ子どもを育てる母親として共に悩みを語りあいたい」、「子どもが若草学級に興味をもった時には適切な助言を与えてほしい」、「地区の子ども会活動に仲間入りしたい」、「学童保育に若草の者も入れるよう協力をお願いしたい」など、普通学級と「同じように」、共にくらすことができる環境づくりを求めるものが多かった(『ひまわり』第三〇号)。また、PTAとして諸々の問題に対し協力していくために、若草学級の母親がPTAに積極的に参加してもらうことが一番よい方法であるとして、その後若草学級に子どもを通わせる親もPTAの委員会に出席するようになった。
一九七六年一〇月一二日、PTA有志は若草学級の授業参観をおこない、その後一〇月二六日に若草学級の教員とPTA役員との間で懇談会がもたれた。そこでは、若草学級の教育の目的や、林間学校・運動会などでの交流の様子、普通学級の子どもたちへの要望などが話し合われた。その際語られた教育の目的とは、自立を前提にして、一人ひとりの個性をのばして育てることを見極めながら、各教科を通して生きる喜びを教えることであった。また普通学級の子どもたちに対しては、学校内でさまざまな交流がもたれるようになったが、学校外では交流がなく、若草学級の子をからかうような言動がみられるので、相手の立場を理解し尊重することを親として子どもに教えてほしいという要望が伝えられた(『ひまわり』第三七号)。
若草学級は、二小の子どもたちが障害をもつ子どもたちと日常的に接することにより、支え合いながら共に生きていくことを肌身で学ぶことができる場であった。小学校入学当初は、若草学級に通う子どもたちに対して、「どうしておかしな事ばかりするのか、不思議で仕方がな」く、「物珍しさと怖さでそっとのぞいている」状態であった子どもたちも、年を重ねていくにつれ、「全く関わりを持たなかった様に見える子でも、一年生の時の様に逃げることはなく、挨拶をされれば返す様になるし、さしのべられた手を握り返」すようになるという(『ひまわり』第四八号)。同じ環境でくらしていくことは、普通学級と特殊学級の両者にとって、生きた学びの機会だったのである。
図7-34 小平第二小学校若草学級の授業風景 1967年
『文〓』50周年