中学校のクラブ活動の位置づけは、学習指導要領の変更により一九七二年度から大きく変化した。一中ではそれまで希望する生徒だけがクラブ活動に参加し、経費の大部分は生徒会費でまかなわれていた。それが全員参加で学校教育の一環として時間割に組み込まれ週一回の活動をおこなう必修クラブと、放課後に学校管理外で希望者のみで行う課外クラブ(顧問は教員の奉仕的活動によるものであり、原則として受益者負担)とに分けられたのである。必修クラブにはさまざまなジャンルがあったが、週一回一時間のみの活動であるため、生徒たちは「のびのび活動できない」、「時間が足りない」などの不満を抱いていた。一方課外クラブには、体力作りや学年を越えた活動・人間関係を学べるなどの利点があったが、希望のクラブに入ることができない、クラブ活動と勉強の両立が大変、帰りが遅い、指導する顧問の教員がいないなどの問題もあった。
一九七二年に学校内のクラブから課外クラブとなったことで、課外クラブの設置要項が取り決められた。同時に課外クラブを支えるための組織として、一九七二年一二月七日に各クラブに参加している生徒の父母による「課外クラブ連絡協議会」が発足した。また一九七七年度からは、課外クラブに所属している全生徒と顧問の教員が一堂に会し、各クラブの交流とクラブ員としての自覚喚起および注意事項の確認徹底のための「課外クラブ生徒総会」が開かれるようになる。この総会では、クラブ活動の上での守るべき約束事(顧問不在時には活動不可、学校の委員会や学級活動はクラブ活動に優先する、下校時間の厳守、寄り道・買い食いの禁止、活動場所の清掃・整理整頓の徹底、休日の登校時の注意事項、定期テスト一週間前の活動禁止)が示され、また同時にあるべき生徒像が示されていた。「課外クラブに所属している生徒に希望すること」として列挙された事項のなかには、学習とクラブの両立、挨拶ができる子ども、学級活動・委員会への積極参加、他校との交流の際、一中の生徒として恥ずかしくない態度などがあげられている。課外クラブは希望者のみの活動であり、制度上学校と切り離されていたが、実際にはスポーツ技術の向上や趣味の延長でのクラブとしてだけではなく、教育活動としての位置づけを与えられていた。生徒たちは、課外クラブと勉強の両立に四苦八苦しながら、学校生活を送っていたのである。
表7-7 小平一中のクラブ活動(1972年) | |||
クラブ | 人数 | クラブ | 人数 |
書道 | 8 | 社会 | 23 |
英語 | 13 | 美術 | 17 |
合唱 | 44 | 体育ダンス | 32 |
器楽 | 31 | バドミントン | 21 |
音楽鑑賞 | 36 | 卓球 | 30 |
文芸 | 17 | テニス | 42 |
新聞 | 32 | バレーボール(男) | 49 |
読書 | 39 | バレーボール(女) | 60 |
華道 | 18 | バスケットボール(男) | 27 |
囲碁 | 17 | バスケットボール(女) | 42 |
将棋チェス | 43 | 野球 | 34 |
模型工作 | 46 | 剣道 | 44 |
手芸 | 38 | 陸上 | 37 |
科学 | 41 | ブラスバンド | 32 |
演劇 | 34 | ||
(出典)『小平一中PTAしんぶん』第52号、1972年12月15日より作成。 |