都立高校増設運動

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志望する都立高校に進むことが出来ない、また「中学浪人」の危険性と隣り合わせの状態で高校受験に臨まざるを得ないという中学生の進学問題を解決すべく、一九七四(昭和四九)年一月に「小平に都立高校増設をすすめる会」(以後、高校増設をすすめる会)が発足した。この会は、「小平のすべての子どもたちに豊かな高校教育を」という目的のもと、高校進学をめぐる問題に感心をもつ小中学生の母親と中学校教員によって構成された一一人の世話人メンバーが中心となり、都立高校増設のための諸活動として、署名運動、用地買収や開校要請などの市や都への陳情書の提出、市や都との交渉などをおこなった。世話人メンバーの多くは、小中学校のPTA活動を熱心におこなっている人や、「小平・教育を考える母親の会」メンバーなど、学校や地域のなかで学び、活動する女性たちであった。また、多摩高校問題連絡協議会など市の枠をこえて同じ課題を抱える人びとや、市内の小・中学校PTAなど、わが子の身に降りかかる問題として切実に感じている人びとなどと連帯しつつ活動がおこなわれていた。

図7-36 小平に都立高校増設をすすめる会の活動記録 1974年
小平に都立高校を増設をすすめる会『小平・高校問題協議会だより』、市民活動資料・情報センターをつくる会所蔵

 一九七四年三月から五月にかけておこなわれた「小平市に都立普通高校を誘致するための請願」署名運動では、市内小中学校PTAや町会、団地自治会、婦人団体などが賛同し、署名一七六九三人分、カンパ一五五七〇円が集った。小平市議会への請願が採択され、市議会に「都立普通科高校誘致調査対策特別委員会」が設置された。東京都は、一九七四年一一月に小平市土地開発公社所有の五千坪とその隣接の民有地約三千坪(小川一丁目)を買収して、高校建設用地にあてることを発表した。その後、用地買収と建設費の予算の工面に時間がかかり、一九七六年一月になってようやく小平市内に第二校目となる小平西高等学校の創立が決定し、翌一九七七年四月に開校した。高校増設をすすめる会は、小平西高校を市民の願いで建てられる高校と位置づけ、設計段階から教育環境や設備の充実のため、都に対して要望をおこなった。その結果、都立高校としてはじめて障害者用エレベーターおよびトイレが設置されることとなった。
 高校増設をすすめる会は、高校増設問題だけでなく、入試制度改革に向けた取り組みや、中学と高校の教育内容にかんする研究会や学習会、調査活動などもおこなった。発会から五年後の一九七八年になると、会の主旨や活動内容をよりいっそう理解してもらって運動を進めていくために、「小平市に都立高校増設をすすめる会」から「小平・高校問題協議会」に名称を変更し、より地域とのつながりを強く意識した活動を進めていくこととなる。一九七八年度の活動報告によると、「地域の高校を育てるため」に小平西高校との交流をおこなったり、地域ぐるみの教育運動の必要性から、市内保育園父母会の呼びかけにより結成した「小平の教育・文化・福祉を向上させる市民集会」実行委員会に参加したりと、地域にとっての学校のあり方や地域の人びととの連携のなかで運動を進めていくことが目指された。
 一九八二年度に都立高校の入試制度が変わり、学校群制度は廃止となり、新たにグループ合同選抜制度が採用された。この新制度は、学区を再編し(大学区制から中学区制へ)、学区内の高校を二つのグループに分け、グループ合格者を選抜するというもので、同一グループ内から第一から第四まで順位をつけて志望することができるようになり、「中学浪人」のリスクが減少した。グループ選抜制度により、三多摩地区の学区は四つに分けられ、小平市は、武蔵野市、小金井市、田無市、保谷市、東久留米市、東村山市、国分寺市、清瀬市とともに、第九学区となった。この第九学区内にある都立全日制普通科の高校は一二校で、その収容率(定員数と中学卒業生数との比率)は、他学区に比べてもっとも低く、他学区と同様の比率にまで上げるには、あと三校の増設が必要という状況であった。この状況に対する危惧から、小平・高校問題協議会を含む第九学区九市の高校増設運動組織は、一九八一年六月から七月にかけて小平市、東村山市、田無市にある筑波移転跡地に高校を増設するよう各市および都議会、都知事、教育長、教育委員会に請願書を提出した。新設高校実現のために、他市の運動組織と共同・連帯して活動をおこなっていたのである。一九八二年には、小平の農林省家畜衛生試験場筑波移転跡地に、小平市で三校目の都立普通高校である小平南高等学校の開校が決定し、一九八三年に開校した。
 高校増設運動は、小平南高校が開校したことで終息したわけではなかった。その後も第九地区における小平市以外への高校増設の取り組みや、都立高校にとどまらない私立高校の教育環境や助成金についての取り組みなど、高校に関する「全体的視野での運動」が模索されていくのである(『小平・高校問題協議会だより』第三五号)。