青年教養大学と青年文化教室

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一九六九(昭和四四)年度より、青年学級の講座は、青年教養大学と青年文化教室の二つにまとめられた。青年教養大学は、「青年が生きていくうえで、当然知っておくべき知識を学習し、自分たちで調査研究し合い、語り合いながら、ものの見方を身につけていくこと」を目的として開講され、青年文化教室は、「青年たちが気軽に集まって、趣味をのばし、語り合い、スポーツやレクリエーションをやって仲間をつくり楽しく過ごす」場として位置付けられた(『ともしび』一三号)。
 青年教養大学は、一九六九年度前期に日本近代史(参加者は二五名)、後期に日本現代史(二八名)、七〇年度前期に哲学(三八名)、後期に経済(一七名)、七一年度に現代社会と青年の生き方(三八名)が開講される。この間、青年学級連絡会の活動も活発になり、青年学級に続けて参加する学級生が増えてきたことによって、講座新規参加者と継続参加者との間のギャップが問題となる。そのため七二年度からは、現代社会と青年の生き方講座を、新しく青年学級で学習をはじめる人が広く一般知識を学んでいくAコース、Aコースを経験した人がさらに専門的な問題意識を深めていくBコースに分けた。Aコースの参加者は、七二年度から七五年度にかけて、三四名、二九名、二四名、一七名であり、Bコースは同様に、一四名、一七名、一五名、一五名だった。

図7-38 青年学級教養大学Bコースの仲間たち 1972年
『ともしび』第15号

 新規参加者数は漸減し、継続参加者数は横ばいであったが、講座での熱心な学習活動はつづいていた。ここでも講座を充実のためにとられた方法は、機関誌を作成するという作業であった。Aコースでは、講座機関誌『こんばんは』(計三三号 一九七四年度)、『よいしょ』(一九七五年度)が前回の授業内容を振り返るかたちで作成され、Bコースでも同様に、『工事中』(計二一号 一九七三年度)、『はずかしながら』(計七二号 一九七四~七五年度)が作成されている。
 青年文化教室は、一九六九年度にスポーツ(参加者は三三名)・手芸(二四名)・科学の進歩と私たちのくらし(九名)・うた声(二五名)、七〇年度にギター(三四名)・話し方(一八名)・美術(三二名)・文学(一六名)、七一年度に話し方(三〇名)・うた声(三四名)、七二年度に人形劇(一四名)・フォークギター(三三名)、七三年度にひとりものの健康と料理(三五名)・木彫り(二四名)、七四年度にデッサン(四〇名)・演劇(二一名)、七五年度に演劇(一三名)・影絵劇(一〇名)が、三か月から半年の期間で開講された。
 一九七〇年代後半に入ると、青年教養大学と青年文化教室に変化が生じる。青年教養大学では、参加者の減少により、一九七六年にA、Bコースが統合される。青年教養大学の講座は、一九七八年度が話し方(参加者は三六名)、七九年度が生き方の心理学(六名)・星座入門(三三名)・文章(一九名)・百人一首を親しもう(二五名)というように、それまで青年文化教室で開講されていたような内容となった。青年文化教室はそれにともなって、七八年度は陶芸(三九名)・アマチュア無線(二二名)、七九年には絵画教室(二三名)というように、より趣味的なものに特化されていく。