小平中央公民館(現仲町公民館)に隣接する小平第一中学校には心身障害者学級「すみれ学級」があり、在校生や卒業生、教員による交流会がすみれ会と名付けられていた。すみれ会は年四回程度の集まりを開いていたが、教員のボランティアという色合いが強く、運営体制が整えられていたわけではなかった。教員には、異動もあることから、すみれ会は公民館に事業の引き継ぎを依頼する。一九七四年に社会教育課・公民館・図書館準備室に分けて事業を把握するようになった教育委員会では、公民館で心身障害者向けの青年学級の運営を決定する。こうして誕生したのがすみれ青年教室である。当時、近隣各市も障害者学級の開設をはじめていたところであった。
すみれ会の会員五〇名ほどに呼びかけたところ、初回の教室には一五名が集まった。その後、体を動かすことを目的とするレクリエーションを中心に月一回の教室が開かれた。七六年度には、一泊二日のハイキングにサマーキャンプといった泊まりの企画も実施された。中学校を卒業してしまうと、スポーツをする機会に恵まれず、また同窓の友達と会う機会も少なくなる。すみれ青年教室では、この二つの機会を提供する場だった。参加者の多くは勤労者であり、毎回の出席は難しかったが、かつての担任の先生や友達と会える時間を楽しみにした。
図7-39 すみれ青年教室「サマーキャンプのつどい」のしおり 1976年
一九七六年度からは、すみれ青年教室にすみれ会の会員以外も受け入れるようになる。翌年度にけやき青年教室と改名し、公民館は活動内容を社会生活に必要な知識・技術を学ぶこと、文化教養を高めること、仲間づくりに努めることと定めた。また、心身障害者の三多摩青年交流会に参加して、他市の障害者学級との交流もはじめる。七七年度の教室申込者は三五名、各回平均出席者は一五人を数えた(『小平の社会教育』一九七七年度)。七九年度からは月二回に開催数を増やし、八一年度には七年余りの教室のあゆみを記録した文集を発行している。
一方で、各回平均出席者数は一九七九年度が八・七名、八〇年度が七・四名、八一年度が四・八名となり、またサマーキャンプ参加者も同様に一二名、八名、五名と徐々に減少していく(小平市中央公民館けやき青年教室『けやき』)。けやき青年教室では、すみれ会の会員以外に参加の門戸を開き、学習活動や交流が高まる機会を提供したが、すみれ青年教室が提供した学校卒業後の重要な二つの機会をうまく受け止めきれなかった。