たとえば、一九七三年の老人福祉大会には千数百名の老人が集まり、一九七六年の社協福祉まつりは三千人も集まった(近現代編史料集⑤ No.二六一/No.二六三)。『小平社協だより』によれば、社協福祉まつりの準備には二か月前から自治会、民生委員、婦人団体、母子福祉会、商工会、生産組合などがあたり、「文字通り市民総参加」だったという。
図7-45 社協福祉バザー
『小平社協二十年の歩み』
図7-46 社協福祉バザーに持ち込まれた寄付物品の山
『小平社協二十年の歩み』
当時、市内には一二〇〇名の身体障害者がくらしており、身体障害者福祉大会には一六〇名が参加している。大会は、社協と小平市、小平身体障害者協会の三者が運営を担い、一九七六年には、二人の男性が、「身体に大きな障害」をもち、日常生活が不自由でありながらも、「克服して立派に世帯更生をなし遂げ、地域社会に貢献」したという理由で表彰されている。小平身体障害者協会は、「身体障害者、傷痍軍人」の親睦をはかり、「道義の高揚と社会福祉の進展に寄与」することを目的とした(近現代編史料集⑤ No.二六五)。『小平社協だより』によれば、小平市の福祉団体は、そのほかに、肢体不自由児の「更生」と「福祉増進」をはかる小平肢体不自由児父母の会、「精薄児」の「独立心をそこなうことなく正常な社会人として生活できるように援助する」小平精神薄弱者育成会、地区における婦人問題を把握する小平市婦人福祉連絡協議会、母子世帯の連絡と協議をはかる小平市母子福祉会、老人福祉のための一円募金や重度障害者のためのオムツ供出運動などをおこなう小平ボランティアの会などがあった。社協やこれらの福祉団体では、障害を「更生」して「正常な社会人」になることが福祉として目指されていたといえるだろう。
厚生省は、一九七九年度から障害者の住みやすいまちづくりを目的として、障害者の生活環境の改善、障害者の福祉サービスの実施、心身障害児の早期療育の推進および市民啓発の四つの事業を柱とした障害者福祉都市推進事業を実施することになり、小平市は同年に障害者福祉都市の指定を受けた。
小平市では、この指定をつうじて障害者の生活環境改善、福祉サービスの充実、障害児者の地域福祉事業に取り組んだ(『社協三十年のあゆみ』)。そのなかで、在宅の重度障害者が創作活動や機能訓練などをおこなう施設の建設が求められるようになった。市と保護者、福祉関係施設・団体が話し合った結果、一九八五年、小平市立ではじめての障害者施設である障害者福祉センターが設置され、障害者の作業訓練や生活実習訓練、機能訓練などがおこなわれることになった。