図7-47 小平市民生・児童委員協議会『民協だより』創刊号 1970年
小平市における民生委員・児童委員の活動にもひろがりと認識の変化がみられる。一九七二(昭和四七)年の小平市民生委員・児童委員協議会『民協だより』のなかで、小平市福祉事務所長とある民生委員が、それぞれ民生委員の役割について述べている(近現代編史料集⑤ No.二七一/No.二七二)。福祉事務所長は、市の福祉行政が複雑で多様化するなかで、地域社会の福祉活動をすすめる民生委員の役割はいっそう重要になってきており、住民に向けた地域活動と市民と福祉事務所を結ぶ「暖かい血の通ったパイプ役」が民生委員だとしている。
これに対して、ある民生委員は、福祉行政を末端で担う民生委員の活動の悩みを綴る。悩みは二つある。一つは、福祉行政と福祉の権利の相克の問題である。その民生委員は、市の組織のもとに民生委員組織が設けられ、整然と活動がされている点は、「社会福祉行政上、実に立派な有機的機能のあらわれ」であり、私は、この「有機体の一員」に「誠意」を傾けていると述べる。ただし、他方で、「人間には等しく平和にして健康な生活を享有する権利があり、人権問題、生活権問題は等しく与えられた基本的権利」であり、この権利を「擁護」し、「確保」するために民生委員の活動があると述べる。福祉行政を「有機体の一員」として「誠意」をもって遂行する姿勢と人びとの「生活権」を擁護する姿勢、両者の姿勢が矛盾をきたすことをこの民生委員は十分に了解している。「国の行政でありますから一定の基準のなかから真に生きた行政を如何にして実施するのか、実は私自身苦しみ、時に自己撞着」におちいることがあると告白している。
もうひとつは、福祉と自立をめぐる問題である。「保護対象者の一人一人に、万遍なく保護を与えることが福祉行政の、全部ではない」としたうえで、「活力と、くじけない意欲をつけてあげることこそが肝要」ではないかと指摘する。それでも、「本当に働けないのか」、「真に身内から捨てられたのか」、それを見抜くことの難しさを指摘したうえで、あらためて「保護対象者の恣意は或る程度規制されなければならない」と述べる。
民生委員の気持ちが大きく揺れ動いているのは、福祉行政のなかに本来的な困難が含まれているからである。それは、くらしをよりよくするという福祉の目的を行政によっておこなうことの困難といってもいい。それに加えて、先の一つ目の悩みである、行政と権利の相克もあった。一九七〇年代の小平市民生委員協議会は、心身障害者実態調査や老人実態調査などを重ねながら、事例発表による意見交換をおこなっていた。民生委員は、一九六九年にできた地域精神衛生業務連絡会にも参加していた。福祉にかんする認識の深まりが確認できるのであり、それゆえ困難を認識することができたのである。