地域で福祉と医療を連携するということ

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その後、保健婦と女性のつながりができ、曲折を経るなかで女性は一九七四年秋に入院、外泊を試みながら退院後の自立した生活を準備する一九七七(昭和五二)年までのレポートが存在する(外口玉子編著『問われ、問いつづける看護』)。このレポートから確認できる連絡会の役割をさらに二つ指摘する。
 一つは、連絡会が近隣住民とその女性の関係を調整する役割を担ったことである。近隣住民には、その女性の様子が「おかしい」と映るときがあり、ガラスを割られるなどの被害にあうこともあった。近隣住民の自治会は、その女性をサポートしていた連絡会と話し合いの場をもち、住民が地域で安心してくらせるようにしてほしい、その女性による被害の弁償、女性がもし事件を起こした場合の責任の所在について、行政当局に要請することを伝えた。
 話し合いをつうじて、連絡会は、「地域での精神衛生活動のすすめ方の困難さを痛感させられた」が、住民がその女性の振る舞いを「敏感」に受け取っているのは、女性の生活のペースや考え方がわからず、さらに「行政が何もしていない」と思いこんでいるからだということがわかった。そこで連絡会は、これまでの経過と今後の方針をできるだけ詳しく説明し、「〝ひとりぐらしの老人〟の生活に協力してほしい」と話し、何かあればいつでも保健婦やケースワーカーに相談にきてほしいと伝えた。一九七四年九月から七五年二月まで話し合いを四回重ね、この間に女性が入院したこともあって、相互の理解は深まっていった。
 自治会は、話し合いをつうじて精神衛生の新しい考えを学び、「自分だけの平和な生活や健康な生活を考えるのではなく、隣人に対する思いやりの大切なこと」に気づいたという。近隣住民として、その女性に「してやれることは何だろうかと考えている」という意見も出された。その女性からもっとも多く被害を受けたというある男性は、自治会が取り上げ、連絡会や小平保健所、小平市福祉事務所、小平・東村山地区精神病院長会議などで検討され、精神科医とも話し合えたことから、事柄を「うけとめようとしている姿勢」を高く評価した。
 連絡会は、いうまでもなく、当初から自治会との調整を課題にしていたわけではない。サポートをしていた女性とのかかわりで自治会と話し合うことになったのである。ただし、自治会と話し合った結果は、連絡会にとって偶然の所産だったわけではない。精神科の医師や看護婦、保健婦、ケースワーカーなどが小平に多く集まる客観的条件をいかし、福祉と医療を地域で連携するための組織をつくった連絡会にとって、自治会との話し合いは、福祉と医療の地域連携の延長線上に位置づくものだった。自治会との話し合いをつうじて、連絡会がめざす福祉と医療の地域連携は、もうひとまわりその役割をひろげたといっていいだろう。
 連絡会はその後、その女性に、一九七三年に小平市にできた「障害者の権利を守り生活の向上をめざす会」(めざす会)を紹介し、めざす会が運営するあさやけ作業所(福祉作業所)で働くことを提案している。自治会との話し合い以来、連絡会が目指す福祉と医療の地域連携はさらにひろがりをみせていたのである。
 以上のようにみてくれば、連絡会による自治会との話し合いは、単にその女性と地域の自治会との関係を調整したのではなく、福祉と医療の地域連携の考え方にもとづき、地域でおきている問題を連携をとりながら解決しようとしたのであり、市や警察に依存するのではなく、地域の人びとが自ら連携したところからすれば、自治的な問題解決だったといえる。福祉と医療を地域で担う活動のなかから自治が芽生えてきたのである。