活動と運動の時代

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日々の生活以外に、公民館の講座に出席したり、サークルやPTAなどをつくったりすることを活動と呼び、そこからさらに他者に働きかけることを運動と呼ぶならば、戦後の小平の活動と運動は、次のような流れをたどってきた。
 第五章が対象にした一九四五年から六一年までの時代には、人口の急増に対して公民館が社会教育の講座で対応した。工場で働く若者や、地域に住んでいたり、移住してきたりした女性たちが社会教育の講座に出席することは、新しい活動にほかならなかった。この時代には、小中学校のPTAも地域の女性たちにとって新しい活動の場であった。
 一九六〇年代に入ると、地域の自治会活動と団地の自治会運動が活発になる。戦後の市内に建設された都営住宅には自治会が設置され、家賃値上げや強制建て替え問題などに共同で対処するために小平都営住宅協議会が結成された。一九六五(昭和四〇)年に入居が開始された小平団地では、小平団地自治会が結成され、生活環境の改善や共同購入、住民同士の親睦などに努めるとともに、ゴミ問題やバス交通問題で小平市と交渉し、駐車場問題や子どもの遊び場問題などで住宅都市公団と交渉した。医療・教育福祉施設が多く集まる小平には、一九六〇年代に入ると、小平肢体不自由児父母の会、小平精神薄弱者育成会(手をつなぐ親の会)、小平身体障害者協会、小平ろうあ者協会、けやき会(精神障害者家族会)などが相談活動や運動会、バス旅行などの親睦活動を進め、小平市に対して社会福祉の充実を働きかけるようになった。

図7-48 あさやけ作業所の仲間たち
『あさやけの仲間たち』

 小平で活動と運動が活発になるのは一九七〇年代に入ってからである。身体障害、教育、生活、女性などをめぐって活動と運動が活発になる。身体障害者の運動の結び目になったのが、一九七三年に結成された「障害者の権利を守り生活の向上をめざす小平の会」である。それまでの障害者団体は、障害の種別ごとにつくられており、障害者問題全体を視野に入れた幅広い活動や運動は展開しにくかったため、精神障害や難病を含む障害者問題全体に取り組む団体が結成された。障害者の運動が活発になる背景には、東京都が国より五年も先がけて、一九七四年四月から不就学児をなくすための「全員就学」を実施する方針を掲げたことがあった。東京都の方針は、教育保障の運動を促す契機にもなり、高校増設運動の結果、それまでの都立小平高等学校に続いて都立小平西高等学校の設置をみた。小平西高校には、運動の結果、都立高校としてはじめての身体障害者用のエレベーターとトイレが設置された。
 この時期には、地域の自治会活動や団地の自治会運動に加えて、さらに資源回収や安全な食品に取り組む生活学校をはじめ、小川消費者グループ、小平主婦の会、新日本婦人の会小平支部、生活クラブ生協、東京都民生活協同組合などの生活をめぐる運動が活発になった。団地の自治会運動や生活をめぐる運動を中心的に支えたのは地域の女性たちであり、一九七五年からはじまった「国連婦人の一〇年」は小平にも影響をあたえ、一九七九年に小平婦人の会の創設をみた(近現代編史料集④ No.一一二~No.一一六)。
 以上の活動と運動のうち、地域や団地の自治会と高校増設運動については本節の他項で、生活をめぐる運動については本章第三節でそれぞれ取り上げているので、以下では、障害者の運動を紹介する。