一九七三(昭和四八)年六月二三日に小平で結成された「障害者の権利を守り生活の向上をめざす小平の会」を支えたのは、小平養護学校の教職員や地域の障害者、障害者の家族、保健所職員、福祉事務所のケースワーカー、障害児学級・養護学校の教員、障害幼児通園の保母、医者、社会福祉を学ぶ学生、社会福祉協議会の職員などであった。小平養護学校を結節点にして、障害者や福祉に携わり、関心をもつ人びとが広く集まったのである。
めざす会は、小平の障害者(児)八五〇名を対象にした生活実態調査をおこない、二二三名からの回答を得て中間報告をまとめた(『めざす会ニュース』第二号)。調査員は各家庭を訪問してアンケート用紙の回収にあたるとともに、障害者や家族と話し合い、生活実態にふれた。それまで市内にうもれていた障害者一人ひとりの声が掘り起こされた結果、めざす会は、障害者の問題が、「生活・教育・医療・労働、街づくり」など、社会の全般にかかわることだと認識するようになった。教育の問題には、障害児の幼児教育、不就学者、特殊学級の少なさがあり、医療には生活保護の指定医の少なさ、労働には働く場の保障の問題、街づくりとしては障害者のことを考えていない車歩道の段差やトイレ、切符売場など、街のなかのあらゆる個所が問題であった。日常生活で一番困るのは外出と答えた人がもっとも多かった。
めざす会は、中間報告をふまえて市に懇談会の開催を要望、八月下旬に大島市長をはじめ福祉事務所長、厚生部長らを交えた懇談会が開かれた(『めざす会ニュース』第二号・第三号)。めざす会はここで他市よりも対応が遅れている、①障害者福祉手当制度の創設、②ホームヘルパー増員と障害者への配置、③共同作業所の設置、④福祉会館の無料使用を要望し、さらに肢体障害者や視覚障害者、聴覚障害者、内部障害者、知恵おくれ、その他の障害ごとに具体的要望を市に伝えた。めざす会は、さらに九月に開かれた市の厚生委員会に①と②の請願をおこなった。その結果、①の障害者福祉手当が小平市ではじめて支給され、④の福祉会館無料使用が実現されることになった。福祉手当の金額はめざす会の要望額より低かったものの、障害者の権利保障を求める運動と福祉行政の対話の懇談会が開かれ、そこから福祉の仕組みが整備される第一歩になったのである。
東京都が一九七四年四月から全員就学を実現する前に、めざす会では市内の不就学者の実態調査をおこない、教育委員会と話し合った結果、三四名の不就学者のうち三二名の就学保障を実現した(『ああ エレベーター』)。うち一名は、学齢期をすぎた過年児(一六歳)の入学者を認めさせるなど、小平市独自で教育権保障を認めさせている(『あさけやの仲間たち』)。ホームヘルパーの増員も実現している。
めざす会は市に働きかけただけではない。障害児問題の学習会や障害者の家族ぐるみ運動会を開催し、運動会については市に共催を呼びかけた(のちに市の主催による福祉まつりに発展した)。また市民対象の手話講習会を開き、障害児(学齢期)のための「子どもクラブ」を設置した。