一九八五(昭和六〇)年、小平市は、瀬沼永真市長の時期に「新長期総合計画」を策定した。一九七〇年策定の「長期総合計画」が一九七一年から一九八五年までの一五年間の計画を立てたのに次いで、二回目の長期総合計画だった。「新長期総合計画」は、一九八六年から二〇〇五年までの二〇年間の長期計画を立てるものだった。
本章は「新長期総合計画」の策定を画期として現在(二〇一三年三月)までの小平市を対象とする。明治維新以来、一世紀年近くを経過した小平の近現代の歴史をたどってきた。小平市の歴史的な現在を概観し、近現代の歴史の到達点を確認することが本章の目的である。
「新長期総合計画」は、「緑と活力のあるふれあいのまち小平――新しいふるさとづくりをめざして」を全体のテーマとして掲げ、以下の四つを計画の柱にした。「明日に向かう夢と希望のあるまち――コミュニティ・文化・教育」「さわやかな朝がむかえられる潤いのあるまち――居住環境整備」「健康でいきいきとした暮らしのあるまち――市民福祉・産業振興」「個性的で豊かな表情をもつまち――都市基盤整備」の四つである。
「新長期総合計画」の特徴を確認するために、第七章第一節で紹介した一九七〇年策定の「長期総合計画」を振り返ってみたい。「長期総合計画」では、「都市基盤の整備――土地利用・交通」「社会環境の整備――住生活・産業経済・厚生文化」「行財政の充実――行財政」の三つを柱としていた。再開発(土地区画整理や街区・店舗の構成、住宅立地など)と交通整備(道路・橋梁など)によって社会基盤を充実させることを第一とし、上下水道の整備を軸にした住生活の改善と農商工業の展開、保健衛生・環境衛生・社会福祉・学校教育・社会教育による「厚生文化」の拡充をまとめて「社会環境」として整備し、これらを実施する主体として市のトップマネージメントを強化する、これが「長期総合計画」だった。
これに対して「新長期総合計画」では、コミュニティの育成と地域文化の創造、学校教育・社会教育をあわせた地域の「まち」づくりを第一の柱とし、「ふるさとの風景」(公園緑地・用水路)、「静かで安全」な「まち」(防犯・防災・公害対策・交通安全)、「清潔で快適」な「まち」(上下水道・廃棄物・環境衛生)による居住環境整備を第二の柱とし、市民福祉と産業振興による「暮らし」を第三の柱とし、都市基盤整備(市街地開発・駅周辺整備・住環境整備)と道路・交通整備による社会基盤整備を第四の柱とした。都市基盤の整備などによるハードな「開発」を優先していた「長期総合計画」とくらべると、「新長期総合計画」では、ハードからソフトに重心が移動し、集まり(コミュニティ)と文化、教育によるソフトな「まち」づくりや、「ふるさとの風景」、市民福祉などを優先したのちに、ハードな都市基盤整備の課題が掲げられている。一九八五年に策定された「新長期総合計画」は、「長期総合計画」とくらべて明らかに次の段階の市の課題を提示しようとしていたといっていいだろう。