「ふるさとづくり」と「小平新開拓時代」

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「新長期総合計画」の提示した課題は、全体のテーマによく示されている。「緑と活力のあるふれあいのまち小平――新しいふるさとづくりをめざして」、「緑」と「活力」と「ふれあい」で「新しいふるさと」をつくる、これが「新長期総合計画」に示した課題だった。とくに「ふるさとづくり」が強調されているのが印象に残る。
 「ふるさとづくり」が強調された時代背景として、「新長期総合計画」では、高度成長から低成長安定時代への移行、人口の高齢化、高度情報化の進展、ものから心への市民生活意識の変化、価値観の多様化をあげている。「激しい時代の変容」のなかで、「二一世紀を展望した新しい小平のふるさとづくり」と「市政の直面している行政課題」に対応するために「新長期総合計画」は策定された。時代の激変のなかでみずからが住む地域(小平)をふるさとと感じる必要性が提起されているのである。そのために必要なことが「緑」と「活力」と「ふれあい」だった。「ふれあい」は、先のコミュニティや文化、教育、市民福祉の重視に示されるように、政策をつうじて地域の人間関係をつくり直すことを意味した。それゆえ、「新長期総合計画」では、行政とともに市民の役割が強調される。「長期総合計画」にはなかった視点であり、一九七〇年代以降のコミュニティ政策を受けたものである。「ふるさとづくり」のためにもう一つ強調されたのが大島宇一市長以来の「緑」であり、公園緑地や用水路を「ふるさとの風景」と呼び、整備を進めようとした。
 「新長期総合計画」での「ふるさとづくり」でもう一つ重視されたのが「活力」である。これは都市基盤や交通基盤の整備を進める第四の柱にかかわる。「新長期総合計画」では、二一世紀に向かうこれからの時代を「小平新開拓時代」と呼び、市内の駅を結ぶ「多核連環都市構造形成」の積極的推進を「ふるさとづくり」の一環に位置づけた。今後を「小平新開拓時代」と呼ぶ時代認識の背景には、小平についての次のような歴史意識(自己認識)があった。
 「新長期総合計画」では、小平の歴史が三つに時期区分されている。第一期は、一六五六(明暦二)年以降に新田が開かれた「小平開拓の時代」、第二期が一九二三(大正一二)年以降に小平学園開発が始まり、鉄道が敷設されて市内各所に駅が開設され、教育研究施設などの大規模な開発がおこなわれて「主要な町づくりの骨格」が形成された「都市的骨格形成の時代」、第三期が、それ以降、各駅周辺を中心にして、農村から住宅都市に急速に変貌する「住宅都市的性格形成の時代」である。近世の新田開発と戦後の都市化を大きな画期とし、あるいはそこに戦前の学園都市を加える歴史の見方である。一九八五年以降を「小平新開拓時代」と位置づける時代認識の背景には、右のような「開発」を軸にした小平の自己認識があったのであり、その点をふまえれば、「新長期総合計画」は、ソフトとハードの二つの視点で成り立っていたということができる。近現代編全体をみる大きな視点で説明すれば、「開発」と「福祉」の二つの観点が「新長期総合計画」の底流にあったといってよいだろう。

図8-1 「新長期総合計画」の基本的政策 1985年