自然環境への関心が深まるなか、生身の人間が発する共同性を持った「音」に注目したのが、「べーぷらん」の活動であった。べーぷらんは、一九九三(平成五)年に活動を開始した小平の都市景観や行政機構などを学ぶ市役所内の自主研究グループである。彼らは住民参加の「住民と協働のまちづくり」を志向したグループであったが、一九九七年から二年間にわたって、市内の音について調査・研究し、一九九九年三月に『be:pla:n 一九九八~九九』を刊行した。
一九八二(昭和五七)年に世田谷区太子堂の街づくりが注目されて以来、それ以外の地域でもミニ開発による無秩序な乱開発を抑制・規制する方向が強まり、それと平行して住民参加のまちづくりへの関心がたかまっていく。なかでも一九九五年一月一七日に起きた阪神淡路大震災の復興過程で、住民主体のまちづくりは再注目された。この地の「希望の鐘」の音色は、鎮魂のみならず多くの人を勇気づけ、行政と住民の協働のまちづくりに大きなヒントを与えた。
そのような情勢を受け、べーぷらんグループは、小平の音の歴史に着目し、住民から聞き書きとアンケートをとり、小平の音の歴史を振り返り、望ましい音を希求した。彼らは、一九九九年一一月に全市にアンケート用紙二〇〇枚を配布し、回答一五一通(回収率七五・五%)を得た。それにもとづき小平にふさわしい音、一〇選を導き出した。①野火止用水のせせらぎ、②玉川上水の枯れ葉を踏む音、③商店街の七夕のにぎわい、④小川寺の梵鐘の響き、⑤狭山・境緑道を歩く人たちの声、⑥市民まつりの鈴木囃子、⑦農家庭先の鶏の声、⑧遠くまで聞こえる西武電車の音、⑨中央公園で遊ぶ子どもたちの声、⑩住宅街にこだまする豆腐屋さんのラッパ、であった(『be:pla:n 一九九八~九九』)。ここには自然が奏でる音のみではなく、商店街のにぎわいや子どもの遊ぶ声など人の存在を告げる音や人工的な電車や豆腐屋のラッパの音までが含まれていたのである。生活のなかで人の発する音の共同性(文化)を継続していたのである。