この話を聞いた一五歳の男子中学生は、「壕でうめき声をあげている兵隊の看病を何の設備もない所ですると聞いて、できる限りのことをしてあげようと言う、そんな思いがこちらにもよく伝わってき、よかった」と感想を寄せ、また別の一三歳の男子中学生は「戦争の恐さの話を聞いて、将来、大人になったとき、子どもたちにおしえて、この世界から、核兵器をなくして、平和な世の中にしたい」と決意を述べている(『’95 平和のための戦争展・小平の記録』)。
図8-8 『平和のための戦争展・小平の記録』 1996年
以後もこの形式は踏襲され、毎年、小平市中央公民館において開かれることになる。一九九六年には「戦争と障害者」(国立武蔵療養所名誉所長・秋元波留夫)、一九九七年には「在日女性による舞踏とお話―あなたと考える従軍慰安婦問題―」(ピョン・キジャ)、など体験に基づく講演もおこなわれている。その一方で歴史学者などによるアジア太平洋戦争の歴史的位置づけ(「日本の中国侵略と南京事件」一九九八年)や、弁護士による「日本の戦争責任と戦後補償」(一九九九年)などの講演もおこなわれている。
風化しつつあるアジア太平洋戦争の意味を被災者の「声」とともに、写真を用いて「目」からも視覚的に訴える戦争展は、毎夏おこなわれ、戦争の悲惨さと平和の重要さを訴えている。とりわけ、実行委員会が力点を置いているのが小中学生をはじめとする若い人たちである。戦争展では「戦争と子ども」などのテーマを企画し、また展示にも工夫を凝らし、ときにはコンサート(組曲「戦場から妻への絵手紙」二〇〇二年)なども催している。展示を見たり、講演を聞いたりした小中学生の感想には、「ぼくはみんなの気がくるってしまう戦争がきらいです」、「戦争はよくないものなのに、なぜするのだろうと思った。ぎせいになった人がかわいそう」(『’02 平和のための戦争展・小平の記録』)というものがあった。入場者も毎年一〇〇〇名前後を数えるなかでの感想であった。
図8-9 「平和のための戦争展・小平」のようす
『平和のための戦争展・小平の記録』2002年
『小平町誌』刊行直後の一九六〇(昭和三五)年に小平郷土研究会が発足して半世紀が過ぎた。この半世紀は、小平に以前から住んでいた人たちが、みずからの祖先の歴史をたどり、またみずからを自省するためにその体験を語り、その一方で新しく移り住んだ人びとが、ここ小平を終の棲家、故郷とするために、土地に刻まれた先人の体験を聞き書きなどの手法で経験知として受容し、みずからの歴史として構築するための過程にほかならなかった。小平に以前から住む人びとによる郷土研究や民俗芸能、遺跡への関心、そして小中学校の教員による副読本の作成、さらには新しい市民による新しい文化としての子ども文庫の設立や図書館や公民館の運営への参加、玉川上水を守る会や小平民話の会の故郷づくりの営為、高校生や大学生などの地域研究、小平市によるまちづくり、平和を求める人びとの戦争展などの活動は、その営みであり、この小平の地にしっかりと足跡を刻み、旧き文化と新しき文化の融合を果たしながら小平独自の文化の発芽を用意しているのである。