小平市では、一九八五(昭和六〇)年の新長期総合計画前期基本計画の施策の一つに、「健康でいきいきとした暮らしのあるまち」を掲げている。ここから一九九〇年代に入ると、福祉の政策が推進されることになり、一九九三(平成五)年には小平市地域保健福祉計画が策定されている。小平市は一九九五年に厚生省の健康文化都市と、東京都の福祉のまちづくりモデル地区整備事業にそれぞれ指定され、後者では花小金井地区をモデル地区として福祉のまちづくりが進められた。この事業をふまえ、一九九七年には小平市福祉のまちづくり条例、二〇〇〇年には小平市福祉のまちづくり推進計画がそれぞれ策定され、地域保健福祉計画にもとづく福祉のまちづくりが推進されることになった。
これらの取り組みの前提には、一九七五年の「老人のための明るいまち」モデル都市指定をはじめとした七〇年代以来の小平市における福祉の取り組みがあり、さらに一九七〇年代に大きく進展した小平地域内の障害者や医師、看護婦、保健婦、ケースワーカー、小平養護学校の保護者などによる障害者の運動があった。また福祉行政推進の背景には、一九九三年の障害者基本法など国の政策があり、さらに「完全参加と平等」を掲げた国際連合による国際障害者年の取り組みがあった。国際連合では、一九七五年に「障害者の権利宣言」が採択され、一九八一年の国際障害者年以後、一九八三年から一〇年間、「国連・障害者の十年」が取り組まれ、日本の政府や自治体でも障害者をめぐる問題への取り組みが推進されることになった。
小平市では、一九九三年の小平市地域保健福祉計画策定に先立ち、一九九二年には小平市地域保健福祉計画にかんする市民意識調査を実施している。五〇歳以上の一般市民編、中学生・高校生編、小学校入学未満の子どもをもつ親を対象にした児童編の三種のアンケートである。高齢化が進むもとで、一般市民は老人ホームを含めた住環境の整備が地域福祉の向上につながると考えており、市民の福祉ニーズが多様化し、ホームヘルプサービスなどの福祉サービスの総合的なシステム化が望まれるようになっていた。中学生・高校生の場合には、高齢者や障害のある人の生活のあり方については、六割から七割の生徒が「家族とともにする生活」「地域社会での生活」を望ましい生活と考え、施設福祉ではなく、在宅福祉、地域福祉の考えをもっていた。ただし、障害のある人への介助経験については、半数以上が経験なしと答えており、障害者への「援助の方法がわからない」と答える生徒が多く、福祉への考え方も「慈善的」なものがもっとも高い比率をしめた(小平市『小平市地域保健福祉計画市民意識調査』中学生・高校生編)。
小平市の六五歳以上の高齢化比率は七・〇%(一九八五年)から九・二%(一九九二年)、一一・二%(一九九五年)、一四・四%(二〇〇〇年)、一八・八%(二〇〇八年)に増えていた。一九七〇年代以来、福祉をめぐる取り組みが活発になってきたとはいえ、福祉をめぐる意識の多様化があらわれており、世代などの意識をつなぐ不断の努力が求められるようになっている。