戦後の郊外「開発」の時代へ

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一九五〇年代から七〇年代半ばにかけて、小平での人口増加はめざましく、小平は急速に郊外住宅都市へ変貌した。戦後の郊外開発の中心は、工場誘致と住宅建設、学校移転、学校建設などである。住宅は、都営住宅・公団住宅と建売住宅であり、一九六〇年前後には、一九二〇年代に続く二回目の大学・高校移転があり、武蔵野美術大学、白梅短期大学、朝鮮大学校などが建設された。畑地の間に学校の校舎が建設され、雑木林や畑地が建売住宅などに姿をかえた。この時期の人口増加の中心は若い夫婦や単身者であり、小平に移り住む前後に子どもをもうけた夫婦も多かった。これにともない、小平市は、小中学校の学校建設や下水道整備などに力を入れた。

図8-15 建設中の小平第八小学校
小平市立図書館所蔵

 近現代の小平には、学園開発、戦時開発と戦後の郊外開発の三つの開発の波が押し寄せている。三つの開発は、それぞれ企業、国家、都市化が主導したものであり、その点で意味が異なっていたが、外から人為的に小平のくらしや景観を大きく改変し、住宅や施設、工場などが建設される点では共通している。近現代の「開発」は小平の歴史に大きな影響を与えたのである。