「福祉」の時代

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一九七〇年代の小平では「福祉」への取り組みが大きく進展する。「福祉」の時代の到来には、三つの歴史的要因があった。①一九六〇年代の小平では、移り住んできた人たちの運動やPTAの活動、さらには小平市と連携した教育環境を改善する動きがみられ、子育てのためのまちづくりが目指され、七〇年代の福祉によるまちづくりの前提になったこと、②総力戦関連施設の戦後における転用による身体障害者の更生施設や養護学校の設置、小平市制の施行にともなう小平保健所と小平市福祉事務所の設立により、医師や看護婦、養護学校の教員、保健婦、ケースワーカーなど、医療や福祉にたずさわる専門的な職員が多く存在していたこと、③一九六〇年代後半から、教育権を生存権の一環として位置づける考えがひろがったことである。
 これらを背景として、一九七〇年代以降の小平は「福祉」の時代をむかえている。この時期の小平に福祉の時代が到来するうえで、福祉の運動が果した役割が大きかった。身体障害者自身が中心になった運動に医療と福祉の専門職員が加わり、それまであった福祉に関する地域の垣根が低くなり、地域の人びとや企業・工場などが協力し、ともにくらすまちづくりの考え方がひろがった。一九七〇年代には高齢者や障害者についての福祉の行政も取り組まれている。一九八二(昭和五七)年に小川駅に設置された障害者用のエレベーターは、福祉の運動と福祉の行政の連携の所産だった。

図8-16 小川駅に設置された障害者用のエレベーター
『小平市三〇年史』

 小平市の行政で福祉の位置づけが高くなるのは、一九八五年の「新長期総合計画」からであり、一九九〇年代から二〇〇〇年代に入ると小平市の福祉の行政が本格的に展開し、福祉の総合的なまちづくりが進められて現在に至っている。