小平における「改良」が、政府の方針をある程度受け入れつつ、在来産業や農業など、地域の特性にあった産業によって地域をつくる動きだったとすれば、「開発」は外からの施設や工場、住宅に依拠した地域づくりだった。いわば「改良」が内発的発展を目指すものだとすれば、工場による「開発」は移植型の発展を目指すものであり、産業発展の方向性が大きく異なる。加えて、戦時関連施設や住宅による「開発」も外部に依拠した地域づくりだった。これに対して「福祉」は、小平に定着を望む人びと自身が、障害や年齢など、地域の垣根を乗り越えて、ともにくらすまちづくりを目指すものだった。温故知新として歴史に学ぶのであれば、小平の近現代一世紀半の歴史に折り重なっている「開発」「改良」「福祉」の三つの要因をふまえ、まちづくりの方向性を明確にすることが求められている。