水害

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元号年月日事項文
慶長13年1608最上川大洪水となる。(安保軍記、余目新田郷土誌)
元和元年16154月5日庄内大洪水。最上川が廻館より吉岡に奔流する。(余目小学校郷土資料・余目郷土誌)
元和2年16164月5日庄内大洪水となる。(荘内歴史年表)
慶安元年16485月15日大洪水、新井田蔵に浸水し濡米三千俵を出す。
万治元年1658庄内大洪水、小牧新田の土手が破れ、酒田城内は二昼夜水びたしとなる。
寛文3年16637月庄内大洪水。(酒田町史年表稿)
天和2年16824月3日庄内空前の大洪水で新井田蔵に3尺浸水し、3万7千俵の濡米を出す。またこのため延宝の治水工事が一朝にして押し流される。その後川原を生じ、いまの船場町付近が草生地となる。
門田村・小牧・茨野新田の土手が破れ、大町・鵜渡川原・牧曽根・漆曽根・酒田町を直撃する。亀ヶ崎城下家中の家々も2メートルばかり浸水する。亀ヶ崎城の御橋残らず落ちる。
貞享2年16854月庄内大洪水、茨野新田の堤防100メートルが破れ、門田村の水門を破る。このため川北一帯が氾濫、人馬が多く死ぬ。復旧のため、飛島村南に新川を掘る。長さ2千メートル、幅60メートル、1日2千人の人夫を動員し、19日間を費やす。その他幕領に属する復旧工事が行われ、農民が使役される。
元禄5年16927月洪水。
元禄6年16936月洪水。二十余日引水せず、凶作。
元禄13年17005月27日27日より6月迄大水。田畑は水をたたえて凶作。そのため酒田で米の延売買を禁止する。(菖蒲年代記)
元禄14年17016月27日大水で酒田北の村々の田が水びたしとなる。(上に同じ)
宝永元年17042月洪水のため亀ヶ崎城三の丸西の方がこわされる。土居下新井田川岸が破損し、その修理に5月から7月までかかる。
宝永4年17076月14日丸沼土手が切れ、西野では屋内一尺六、七寸の水となる。二十年来の大水。16日の昼より水増し、17日朝より退く。(伊藤家記)
7月15日大風雨のため、小湊が一夜でうずまり、酒田湊口がふさがる。
宝永5年17087月12日大雨、夜中酒田湊が砂押しのため上ケ浜(湊口閉塞)となり、7月21日より掘人足に総郡中から加勢として詰める。15、6日後、宮野浦付近が破れて元の湊のようになる。(余目西野肝煎伊藤家記)
正徳2年17123月15日~16日大水。新堀村内は船で交通する。門田と西野の間は一面の水となる。西野屋敷へは水が上らない。(余目西野肝煎伊藤家記)
8月20日最上川の水があふれる。
享保元年17165月洪水
享保8年17236月1日大水5日迄酒田町中へ船をつなぐ。鶴岡40年来の大水。(余目町史年表)
享保14年17298月6日より4日間にわたり大雨、赤川大氾濫、鶴岡の被害甚大となる。(荘内歴史年表)
延享元年17447月12日~13日大風雨となり庄内地方大洪水。
延享4年17479月13日庄内大洪水。
宝暦5年17555月23日23日から大雨、24日最上川大洪水。
宝暦7年17574月洪水で亀ヶ崎城内が浸水する。最上川上・中流域の山形・上ノ山・米沢で驚異的な大洪水となり、死者は100名を超す。
5月1日最上川増水、25日大洪水。(松嶺町史年表)
5月大水のため大手門前で人夫が一人死ぬ。(酒田港誌)
宝暦8年17588月連日の降雨で日向川洪水となり、田畑を浸す。
明和4年17675月洪水が門田堤防を破り、酒田城米積込船を押流す。御米置場(瑞賢倉)も破壊される。
明和6年17696月24日最上川及び日向川洪水。(松嶺町史年表)
安永6年17777月大雨で宮内新田村の土手が破れ、大洪水となる。
安永8年17798月洪水。
天明元年17815月26日洪水。
天明4年17843月洪水。
寛政3年17913月洪水。
寛政4年17927月15日~16日まで日向川洪水となる。
寛政11年17997月大洪水。山居松原の堤防が破れ、大手橋・新井田橋が大破する。(平野史年表)
文化元年18046月12日12、16、27日川北洪水、田畑泥海と化す。
文化3年180610月24日大風雨のため最上川が氾濫し、船場町が流される。
文化5年18083月23日雪解水と降雨のため赤川洪水。
文化10年1813日向川大洪水。
文政5年18227月3日庄内大洪水・大雨細引のように降る。夜、赤川大洪水。村々の人家が流され、橋は残らず落ちる。水死人多数、川北地方も7日間浸水する。
文政11年18287月9日大雨降り、10日洪水となる。赤川の堤防が360メートルにわたって決壊し、多くの橋が流失する。酒田の松原堤防も破れ、大手橋・新井田橋が大破する。鵜渡川原と船場町浸水、今町まで水上る。河川は平水より6メートル増水する。352戸が浸水、御蔵米2万俵が濡れる。最上地方より水死人や家屋多く流れ来る。川北田畑の被害は前代未聞という。
文政12年182911月洪水。
天保4年18336月26日最上川大洪水。平水より六片増水し、大災害となる。茨野・小牧村の土手が破れ、亀ヶ崎城の橋が流される。638戸が浸水する。いろは蔵の濡米4万俵を出す。穀菜九分通り流され飢饉迫る。
天保10年18396月28日大洪水。酒田御蔵米3千俵余が濡米となる。
嘉永3年18506月大洪水。この年大凶作。
嘉永5年185210月13日大風雨のため酒田湊が被害を受ける。(荘内歴史年表)
安政6年185912月最上川大洪水、八軒町喜代治等乗船の2隻が流され行方不明となる。他にも多くの川船が流される。(野附文書)
万延元年186012月28日大雪のところ、暖気による雪解けと降雪で洪水となる。赤川の被害が多い。酒田御蔵米3万俵浸水、新堀村で6人水死する。
文久元年18615月18日大雨、大洪水。
6月7日晩大雨、大洪水。
明治8年18757月2日から降り続いた雨で、7日最上川大洪水となり、家屋及び死人が多く流れ来る。(荘内史年表)
明治12年18796月~7月最上川・赤川が大氾濫。7月4日より10日まで未曽有の大洪水。水かさ21尺(6.3メートル)。酒田で18軒が流される。流域全体では溺死28人、流失家屋439戸。落橋875ヵ所(実小路橋や新井田川架橋等)。河身の破壊・両岸の欠損甚しく、上流より流されてくる土砂のため港が埋まる。
明治13年18804月最上川洪水。
明治17年18847月12日日向川大洪水。土手500間余(900メートル余)が切れ、大久保村・塚渕村の田畑は石砂で埋まる。
明治22年18896月26日最上川出水、最高水位16尺6寸(4.98メートル)酒田在の新田通りは大海の如くなる。(余目郷土誌)
明治27年1894夏、飽海郡内未曽有の大水害。(飽海郡会史)
明治35年19029月28日庄内大暴風雨となり被害激甚、皇室より片岡侍従が派遣され救恤金を下賜される。(遊佐町史年表)
明治38年19058月最上川が氾濫する。大宮小野寺堤防が決壊し、大宮・大町・遊摺部は陸の孤島と化す。酒田町も人家の床を浸すこと7、80センチという、未曽有の大水害である。
明治42年19094月6・7日豪雨のため、最上川増水9尺(2.7メートル)、民家及び橋梁の流失等被害が甚だしい。
大正6年19177月4日7月4日から5日夜にかけて144ミリの降雨量となり、赤川流域の広野周辺で水田300ヘクタールが冠水する。京田川流域では同じく水田200ヘクタールが冠水する。7月2~5日の総雨量は飛島で195ミリ、酒田で198ミリ。
大正10年19218月5日5日以来豪雨のため最上川増水13尺余(3.9メートル)に及ぶ。赤川氾濫、諸河川大洪水、赤川上流で総雨量500ミリに達する。家屋、田畑などの被害総額500万円。
大正11年19228月2日115ミリの降水によって床下浸水100戸に及ぶ。特に桶屋町・大工町・中町・浜畑町・祖父山下・山王堂町方面で被害が大きい。
大正15年19267月29日局地的な大雨が降り、西荒瀬で浸水家屋が出る。
大正15年19268月17日~19日低気圧の通過に伴い庄内平野部に豪雨、酒田で総雨量152ミリを記録。18日5時ごろ羽越線不通となる。橋梁流失や田畑の浸水などがある。生石柳沢ではため池が決壊し、7人が死亡する。
昭和12年19377月30日雷をともなった集中豪雨があり、酒田の総雨量は168.4ミリを記録。7時40分から8時40分までの最大一時間雨量は64.2ミリで、観測以来第二位。酒田飽海の水田500ヘクタールが冠水する。
昭和16年19417月1日~3日にかけての豪雨は日向川・月光川流域で140~160ミリに達した。
昭和19年19447月20日最上川大洪水のため上流堤防が決壊し、新堀村等が水害をうける。
昭和21年19466月10日庄内最上地方に集中豪雨による被害が出る。
6月24日~25日豪雨により酒田飽海地方の水田や畑2,480ヘクタールが冠水あるいは浸水する。
昭和22年19474月22日最上川の出水により背割堤704メートルが欠壊する。
7月8日豪雨により最上川が出水し、背割堤105メートルが欠壊、ついで9月20日には20メートル、欠壊し、港内が埋没する。(酒田市議会史年表)
8月2日~3日鳥海山系を中心に300ミリを超す大雨が降り、酒田飽海地方の水田757ヘクタールが冠水する。
昭和25年19506月4日100ミリを超す大雨が降り、酒田・飽海郡で888ヘクタールの田畑が冠水する。
昭和26年19517月13日県下に豪雨、被害甚大。(県警史年表)
昭和28年19536月8日~9日梅雨前線が停滞して酒田飽海地方では100ミリを超す降雨となり田植を終了したばかりの水田446haが冠水する。
8月14日飛島中学校が豪雨により土砂くずれの災害を受ける。(酒田市議会史年表)
昭和30年19556月24日~25日豪雨により、主要河川が警戒水位を1.5メートル以上超え、氾濫し、5千町歩が冠水、甚大な被害を受ける。(酒田市議会史年表)
7月4日庄内地方大洪水。
昭和32年19577月7日~8日豪雨のため庄内の各河川が氾濫する。
昭和33年19587月20日~29日長雨となる。合計総雨量酒田で305ミリを観測。酒田・飽海・東田川に被害多く、遊佐町に災害救助法が発動される。赤川新川の新川橋等流失する。
昭和39年19647月2日2日の豪雨は鳥海山系で300ミリ前後に達し、水田の冠水が多い。(酒田市制50年)
昭和41年19667月15日~18日にかけて庄内地方に大雨が降り、がけ崩れで住宅7棟が全壊する。鳥海山で723ミリの降水量を記録。農林関係全体の被害は10億円に達する。
昭和42年19678月28日~29日のいわゆる羽越豪雨と呼ばれる集中豪雨や、10月28日の台風34号に伴う風雨がある。(酒田市制50年)
昭和43年19688月20日~21日大雨により酒田で140戸が床下浸水。
昭和44年19698月7日~8日豪雨により最上川堤防欠壊のおそれを生じ、附近の住民71世帯、223人が亀ケ崎小学校に避難する。(酒田市議会史年表)
昭和46年19717月16日庄内に集中豪雨、23ヵ所で交通が途絶する。ガケ崩れで4名死亡する。
昭和48年19736月21日~23日、雷を伴った大雨により、停電・断水・床下浸水90棟などの被害が発生する。
12月21日11月末からの長雨(降水量202ミリ)により、十里塚・浜中・袖浦・光ヶ丘・高砂・宮海地区の地下水が異常湧水し、畑や住宅に浸水、井戸水が濁るなどの被害が発生したため、海岸地区水害対策本部を設置する。
昭和50年19758月6日朝からまる1日降った集中豪雨(211ミリ)は日向川の曙橋を押し流し、橋に添架してあった配水管も流失したことから南遊佐地区が断水する騒ぎになった。酒田での田畑の冠水166ヘクタールに達する。(酒田市制50年)
昭和51年19767月10日県北部に集中豪雨が発生する。
8月5日~7日大雨のため、酒田で床下浸水821戸が発生する。
昭和52年19778月8日8・9両日に170ミリもの大雨が降り、約170戸で床下浸水する騒ぎがある。(酒田市制50年)
昭和55年19807月14日~16日庄内地方に大雨降り、田畑の流失118ヘクタールのほか、道路15ヵ所、堤防21ヵ所が損壊する。
昭和56年19816月22日~23日大雨が降り、酒田で田畑の冠水208ヘクタールに達する。
昭和57年19827月30日強雨により入船町・若竹町・若原町・東大町・光ヶ丘の道路が冠水、一部に床下浸水家屋が発生する。
昭和59年19847月18日大雨のため浸水家屋が発生する。