慶長14年(1609)

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慶長14年1609陰暦4月中の申の日に山王社の祭礼を行うことにし、この年初めて神宿を開く。
下の山王宮に属する氏子の富家八戸を選び頭人とし、神事に勤仕させる。その後毎歳の恒例となる。明治に至り、例祭を5月20日と改め現今に至る。(酒田港誌)
神事には別当不動院は北殿の鉾と雌獅子、社家斎藤氏は南殿の鉾と雄獅子を奉じて執行した。
8月浄徳寺中興然誉が宮野浦から移転して現在地に本堂を建てる。
9月大山城代下治右衛門の家老原美濃守が、浜中村肝煎に「伝馬宿掟」を伝える。
この頃、志村伊豆守が丹波愛宕山より分霊し、内匠町に愛宕神社をたてる。上杉・最上酒井三家の祈願所となる。祭神・軻遇突智命、将軍地蔵。
山椒小路はこの年4月の「山王宮當舞帳」に山椒小路九郎右衛門とあり、明暦図には同町19軒、天和3年には一丁10間46軒とある。