慶長18年(1613)

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慶長18年16133月23日本慶寺の開基、法春が没する。
進藤但馬は志村光惟を助けた重臣であり、「駒口役銭ならびに飛島いかの銀四百七拾六匁四歩を確かに受取った。即刻山形へ届けるであろう」という、この年12月10日付の受取証を御用商人永田勘十郎に渡している。
この頃、堀三郎右衛門が庭田に実蔵院と熊野神社を創建したと伝えられる。
この頃、北方砂山より海晏寺・正徳寺が現在地に移転する。湊の薬師を善導寺に安置したと伝えられる。
尾形将監が大町に皇太神社を創建したと伝えられる。
この頃、来生氏の臣荒生治右衛門と羽黒山の胎蔵院が北吉田を開村し、鳥海山より薬師神社を勧請したと伝えられる。(庭田村誌)