元和5年(1619)

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元和5年161912月19日直江山城守兼続が卒する。60歳。兼続は上杉家無二の忠臣で、米沢最初の建設者。かつて征韓の役に従い、多くの図書を収めて帰る。世に直江本と稱する。学徳ともに高く、六法文選を刊行した。当時、僧銭桶は兼続とともに旧伝新齎諸書の異同を校勘した。最上川の上流、松川の西岸及び谷地河原に堅固な堤防を築き、また遠く谷地河原頭に堰を設けて、松川の水を引き城下の用水並びに掘立川を導き、城下の水利を便にする等、いまなお米沢市民はその恩沢に浴する。人となり質素勤倹、粗衣粗食に甘んじ、虚飾を戒しめた。経世の天才に富み、治民の要諦に通じ、武略にたけ、当時の群雄における偉人中の偉人といわれる。(酒田港誌)
斎藤内匠の屋敷跡に街づくりを行い、内匠町という。天和ころ、上と下に分れ、上内匠町だけで94軒とある。
最上家三奉行の旨を受けて、永田が最上家の古船の板を木島という商人に周旋し、代金を奉行へ差上げている。このときの指南人(町年寄役)は、鐙屋・加賀屋・上林の3人となっている。
年貢塩の高299俵。