元和9年(1623)

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元和9年16232月忠勝は鶴岡の町役人野坂徳右衛門を案内役として領内を巡視し、また検地を行った結果、総高4万7700余石の新田増加をみる。
郡中を検地したところ、次のとおり改め出しがある。田川郡16,042石1斗2升、飽海郡8,985石2斗3升。(大泉紀年)
3月2日上杉景勝が米沢城に薨ずる。69歳。(荘内歴史年表)
3月郡奉行兼川北代官堀兵助が舎弟大膳とはかり、上藤塚新田をひらく。(飽海郡誌)
8月鶴岡・酒田の町割を行う。(荘内歴史年表)
12月21日町役人斎藤淡路が没する。生年不詳。最上家治政下の内町組の組頭。その後、酒井家時代も子孫代々この職を引継ぐ。淡路小路(片町)はその屋敷跡。
庄内藩で能登松の苗木を買い、浜中に植付させる。
村井屋理右衛門が土崎村を開発したと伝えられる。
最上家の家臣小嶋鹿之助か来住し、茨野で十六石余の新田を開発する。
漆曽根の郷士高橋利右衛門が漆曽根組大肝煎となる。
堀大膳が藤塚に伊勢より豊受神社を勧請したと伝えられる。
飛島の遠賀美神社が建替られる。(飛島誌)