寛永5年(1628)

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寛永5年16289月最上城主鳥井左京亮忠政が卒する。62歳。元和8年7月、最上家が没落すると、9月、忠政は最上城主に封ぜられ、邑20万石を食み、寛永3年8月、田川郡の内2万石を加えられる。忠政入部後大いに城池を拡張し、市街の区劃を改め、馬見ヶ崎川流の変更を行う。毎年、最上の租米を最上川によって、酒田湊に下すに当っては、庄内藩の河舟を依頼していた。(本間家文書)
鷹町がひらかれる。
鶴岡のキリシタン戸野口角右衛門が処刑される。
厳島神社が今町に創建したと伝えられる。