元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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寛永6年 | 1629 | 5月 | 酒田でトーマス茂助ら10名の信徒が捕えられ、9月27日、全員が処刑される。茂助は焚殺、妻マリア・子供のフランシスコと幼児は斬首、リノ弥助は火刑、その妻ウルスラと二子は斬首他。酒田におけるキリシタン殉教として忘れられない。 | |
6月6日 | 城代松平甚三郎が家老に転じ、白井惣右衛門が城代となる。 | |||
6月 | 町奉行勝木多左衛門が三町の人足割と諸役割を定める。いままでの四分六分を改め、酒田町組4分の3、内町・米屋町組4分の1とする(そのうち、内町組4分の3、米屋町組4分の1) | |||
米屋町組に長人5人をおいたが、町民の願いにより2人を定員とする。 | ||||
この頃、亀ヶ崎城には侍55騎、定番の者30人、城付の足軽200人がいた。(大泉掌故) | ||||
飛島代言島田佐左衛門が飛島のいか年貢を五十駄十万枚とし、藩主食膳壻の魚は上納を廃止し、五節句用の魚のみ上納とする。 | ||||
妙法寺が御藤山より寺町に移転したと伝えられる。 |