寛永9年(1632)

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寛永9年16326月加藤清正の子忠広が庄内に流され、鶴岡の仮住居常念寺に入る。その後、櫛引の丸岡へ移る。局・木川・丸沼・落野目等が丸岡の忠広の扶持地となる。(大泉紀年)
8月遊佐郷大肝煎高橋太郎左衛門が荒瀬郷大肝煎とともに江戸に至り、幕府老中松平信綱と松平正久に領主忠勝の暴政を上訴する。(荘内歴史年表)
遊佐郷・荒瀬郷の百姓三十余戸、228人が領主の苛政に堪えずとして秋田仙北由利地方に亡命する。(荘内史年表)
奥羽の城米を初めて江戸に回送する。(荘内経済年表)
池田刑部左衛門・高橋太郎左衛門が大肝煎の職を奪われる。(大泉紀年)
持地院が坂の上の五大院前から現在地に移転する。
この頃、町方による組織された消火活動が行われていたとみられる。
この年までに満蔵院(観音堂)が猟師町より伝馬町に移る。のちさらに現在の今町に移転する。