寛永11年(1634)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
寛永11年1634飛島の戸数約百戸。(飛島誌)
庄内在郷への魚売りが禁止され、飛島の住民が生活に窮する。
高橋太郎左衛門・同長四郎が江戸に上り、幕府へ目安書を提出する。中に、藩が塩浜と在郷の間に口留を置き、塩や塩売代米を取るので庄内塩浜百姓が迷惑していると訴える。
堀兵助開発の藤塚の田が日向川の度々の洪水で3分の2を失う。(大泉紀年)
この頃星川の大組頭佐藤家が星川興屋を開村したと伝えられる。
漆曽根の明照寺が創建したと伝えられる。