寛永13年(1636)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
寛永13年16363月中町の肝煎永田治右衛門が町中に切支丹伴天連の徒がいないことを報告する。
4月上の山王社を山王堂町が低地のため、近江町の現在地に移す。境内は南北52間・東西100間。社殿は南面していた。
7月酒井忠勝が庄内仕置について引継を完了する。(雞肋編)
8月幕府が河海船遭難に対する救援心得を出す。
11月亀ケ崎城兵具の封印を改める。鉄砲576丁他。
船継駅を大石田から清水にとり戻すことを巡見使に願い出たが許されない。
飛島の多宝寺が建てられたと伝えられる。(飛島誌)
修験大行院が鷹尾山より漆曽根に薬師を勧請し。のち鷹岡神社と改称する。