寛永15年(1638)

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寛永15年16388月庄内三郡の大肝煎に各々知行百石を下される。(大泉紀年・上)
9月13日鶴岡・酒田・加茂・鼠ケ関・六十里越口・添川・吹浦・小国8ヵ所に切支丹制札を建てる。(編年私記)
酒田町奉行の水野市兵衛が三十六人衆の帯刀飼馬の権を取り上げようとして、三十六人衆の反撃にあい、失敗して職を退く。
この頃「二木文書」に、町年寄は二木・鐙屋・上林となっており、二木・鐙屋が村井・永田両家に代っていることがわかる。
突抜(内町)に初めて人家が建てられる。
新鍛冶町に街づくりが始まる。
加賀藩で米を大坂に運ぶ。
高橋太郎左衛門が新知二百石で鶴岡に移住し、弟の長四郎が遊佐郷大肝煎となる。(大泉紀年)