正保3年(1646)

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正保3年164611月21日酒田・鶴岡間と門田村・横山間の馬次について布令が出る。(大泉紀年)
町奉行乙坂六左衛門の発意で、上の山王社の神木を下の山王社に移し、上・下両社の合同で酒田三組一統の祭事を行うこととする。これより上山王社頭では祭典を執行しない。
染屋小路は正保3年の「山王宮当舞帳」に、染屋小路亦右衛門とあり、この頃からあったことが知られる。天和3年の調書には家数16軒とある。
三十六人衆の西野長兵衛宛に京都の観世左近からきた手紙があり、当時すでに観世流の能楽が酒田商人の間で行われていたことを示している。