慶安元年(1648)

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慶安元年16484月亀ヶ崎城の北谷地を新田に開発することを願い出る。
5月15日大洪水、新井田蔵に浸水し濡米三千俵を出す。水害
11月武士の心得・検見年貢・諸役銭・奉公人の諸布令を始め、百姓に関する覚書十七ヵ条の庄内掟書を達する。百姓年貢不納の際は組頭、五人組連帯で責を負うべきことを定める。また酒田湊を江戸湊にならい庄内全体の要湊とするとある。(荘内歴史年表)
12月松平伊豆守に出した書中に亀ヶ崎在番の将士、馬上22騎。足軽30人とある。
横道の普請を行う。
羽黒山の天宥別当が羽黒山切石坂の工事を起す。(荘内歴史年表)
医師・俳人伊東玄順不玉が生まれる。
渡部隼人・栗林新右衛門は正保以後大庄屋となる。それ以前は小遣役を勤めていた。(飽海郡誌)
山王祭礼に初めて神輿(みこし)が加わる。